机の話


 お初にお目にかかります。わたくし、机です。僭越ながら、二松中学校三年D組の机をさせて頂いています。
 本日この場にわたくしのような若輩者がおりますのは、ひとえにわたくしの御学友のお話を聞いて頂きたいがためでございます。
 わたくしめの御学友は、端的に言ってしまえば、いじめられっ子でございました。御学友とは、わたくしを机として使用して下さっていた二松中学校三年D組の生徒さんでございます。華道部に所属していた女生徒さんだったのですが、机のわたくしにさえひどいと思われるような学校生活を送っておられました。
 靴隠しなどは当たり前で、たまにそれが無いかと思うと、靴の中に画鋲が入れられている始末。クラス内で無視されておられまして、机のわたくしと致しましても、見ていられない程悲惨な状況でございました。机であるわたくしに目はございませんが。たまに発言をすると、「しらけるんだけど」「バカじゃん?」「くさいから、喋んないでくんない?」などと、無慈悲な言葉を浴びせられておりました。
 必然的に、彼女の口数は減る一方でございました。自分の発言の全てを否定されたとしたら、どういう気持ちになるのでしょう? 喋る相手のいないわたくしにはそのような経験はございませんが、それは大変、辛いものでございましょう。少し考えれば分かることでございます。しかし彼女の周囲にはそのようなことを考える方がおらず、彼女は過酷な日々を、ただひたすらに耐え続けておりました。
 その生活が終わったのは、三月のある日。卒業式でございました。つまり、彼女はもうこの学校にいないのです。卒業後の彼女の生活がどうなったのかわたくしは存じませんが、彼女は確かに、あの生き地獄からは解放されたのです。
 これでわたくしも、悪口を書かれる心配が無くなります。わたくしは彼女の机でしたので、よく彼女の悪口をペンで書かれたものです。それはわたくしにしても苦痛でしたが、彼女にとっては、更に辛い出来事だったでございましょう。誰もいない放課後の教室で、彼女はほぼ毎日、苛立ちからわたくしにカッターの刃を突き立てたものです。その行為は、自分をいじめる者達に対してか、自分を助けてくれない親や教師に対してか、はたまた、孤独な自分に対してのものだったのか、わたくしには計り知れませんが。兎にも角にも、彼女はもう、わたくしの前に現れることは無いのです。
 では、何故今更この様な話をしたのかと言いますと、忘れて欲しくないからでございます。
 時間とは時に優しく、時に残酷なもので、苦い記憶を忘れさせてくれたり、気持ちを落ち着かせてくれたり、とても嫌だったことをどうでもいいことに変えてしまったりします。時が経つにつれ、彼女の辛い記憶が、事実を知っている人達の記憶から消えてしまうのが、わたくしにとっては悲しいのです。やるせないのです。
 過ぎたことと言ってしまえばそれまでなのですが、やはりわたくしは、今でも考えてしまうのです。もしもわたくしが人間だったなら。もしもわたくしが喋れたのなら。彼女の人生は、変わっていたのでは。
 わたくしのような浅学非才の身である者がこう言うのも厚かましい限りではございますが、どうか、お願いでございます。たかが机の戯言と聞き流さずに、彼女のような人がいることを、忘れないで下さい。



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photo by 少年残像