つきうさぎ 月のきれいな夜のことでした。 その日ぼくは、あまりにも月がきれいだったので、何だか家の中にいることがもったいなく思えて、外に出て夕ご飯を食べることにしました。 ぼくの家の裏手には小さな池があり、そのほとりに座って夕ご飯を食べるつもりで、ぼくはいそいそとおにぎりやら何やらをカバンにつめると、ひとりで外に出かけていきました。 池に出て、さてどこに座ろうかと辺りを見回すと、なんと、ちょうどいいことに、池のそばに、白い小さな岩があるじゃありませんか。 ぼくはその岩に座って夕ご飯を食べることにしました。 しかし、近づいて腰かけてみると、どうしたことでしょう。なんとその岩はとてもやわらかく、しかも温かかったのです。 ぼくが驚いて飛び退くと、その、岩だと思っていた物体が、ぼく以上に大きく跳ね上がりました。 「なんだ、なんだ?」 それはなんと、大きな白うさぎでした。 あんまり大きなうさぎだったので、ぼくはてっきり、草むらにうずくまっているのを見て、岩だとばかり思ってしまったのです。 「ご、ごめんなさい……」 ぼくは慌てて謝りました。 寝ていたところをいきなり上に座られたのですから、うさぎはさぞかしびっくりしたことでしょう。 「ああ、びっくりした……。押しつぶされて、ペシャンコになってしまうかと思った。もし本当にそうなっていたら、一体どうしてくれるんだ」 白うさぎはとても怒った声で言いました。 「ごめんなさい、ごめんなさい……」 その声があんまりにも怒っていたので、ぼくはもうひたすら謝るしかありませんでした。 「でも白うさぎさん、どうしてこんなところで眠っていたんですか?」 不思議に思ってぼくは聞きました。 でもこれは、ただ本当に不思議に思っただけじゃなくて、白うさぎが、勝手にぼくの家の裏で眠っていたことを、ぼくも少しは怒っていたからです。 「おれがどこで何をしようと、お前には関係ないだろう」 白うさぎはまだ怒っているのか、ぼくのことをにらみながらこう言いました。ぼくがどうしようかと困っていると、突然、白うさぎが泣き始めました。 びっくりするぼくに、白うさぎは泣きながら言いました。 「ああ、おれはどうしていつもこうなんだろう。今だって、本当はわかっているんだ。こんなところで勝手に眠っていたおれも悪いんだってことを」 白うさぎはもう、どうしようもないぐしゃぐしゃの顔になっていました。 「白うさぎさん、そんなに泣かないでくださいよ」 ぼくが慌てて白うさぎをなだめようとこう言うと、白うさぎはさらに声を大きくして言いました。 「これが泣かないでいられるか。おれのこの性格のせいであいつがいなくなってしまったというのに。どうしよう、おれはなんて奴なんだ」 白うさぎの言っていることが、ぼくには全然わかりませんでした。 「白うさぎさん、一体何があったんですか。ぼくでよかったら、どうか話して下さい」 ぼくはもう、さっきまでの白うさぎへの少しばかりの怒りは消えて、泣いている白うさぎが可哀想でなりませんでした。 「こんなおれの話を聞いてくれるのか」 白うさぎは涙でぐちゃぐちゃの顔と声とで話し始めました。 「実はおれは、月からきたうさぎなんだ。いつもは月にいて、ペッタンペッタン、毎日モチをついていたんだよ」 「え? なんですって?」 ぼくはあんまりびっくりして、おかしな声を上げてしまいました。 「信じられないかもしれないけれど、本当なんだよ。おれはいつも、友達の黒うさぎと一緒に、月でモチをついているんだ。その証拠に、月にはいつも黒いカゲがあるだろう。あれがおれ達さ。でも見てごらん、今日の月にはそのカゲがないだろう」 白うさぎに言われて月を見ると、ぼくはあっと驚きました。確かに、月にあの黒いカゲがないのです。いや、正確に言えば、ぼくが毎日、うさぎに見えると思っていた部分のカゲが、すっかり消えてなくなっているのです。 「なあ、わかるだろ? あの、少し残っている黒いカゲが、おれ達のキネとウスなんだ。おれがついて、あいつがこねて、おれ達はもう何年も、何十、何百、何千年も、そうやってモチをついてきたんだ」 白うさぎはまぶしそうに月を見上げました。 「でも、月にはひとつしかうさぎのカゲは見えませんでしたよ」 ぼくが言うと、白うさぎはヤレヤレというように首を動かしました。 「そうなんだよ。あいつはとても恥ずかしがりやで、いつもウスのカゲに隠れていたんだ。おれとは正反対の性格だった。それでもふたりはうまくやっていたんだ! でも昨日、おれは初めて、やってはいけないことをした。間違って、あいつの手の上にキネを振り下ろしてしまったんだ。あいつはあまりの痛さに跳び上がって、さすがのおれも謝った。けれど、あいつがいつまでも痛そうに泣いているものだから、腹がたってついこう言ってしまったんだ。一体いつまでそんなカオをしているんだ。おれはもう十分謝っただろう。いい加減にしろよ ……ってね。もちろん本気でそう思ったわけじゃない。けど、痛がっているあいつを見ると、自分が悪いことをしたんだと思い知らされて、ついあんなことを言ってしまったんだ。そうしたらあいつ、泣きながら走ってどこかへ行ってしまったんだ。しばらくすれば戻ってくると思っていたんだけど、いつまでたっても戻ってこない。不安になって月中探したけれど、どこにもいない。きっと地上へ降りてしまったんだ。そう思って、おれは慌ててここに降りてきたんだ」 ここまで言うと、白うさぎはガクリと頭をさげました。池の上に映った月が、ゆらゆらとゆれています。 「でもダメだった。どこを探してもあいつはいない。探して、探して、疲れきって、ついうっかりここで眠ってしまったんだ。ごめんな、勝手にこんなところで寝て」 白うさぎの涙はもう止まっていましたが、声には力がありません。 ぼくは白うさぎの話を聞きながら、ずっと昔に別れたきりの兄のことを思い出していました。本当にちょっとしたケンカでぼくが家を出て以来、もう何年もの間、兄とは会っていません。 「なあ、おれはどうしたらいいんだろう。月が出ている間でないと、月に帰れないのに。あいつのいない月に帰っても、何もないのに」 ぼくはとても悲しくなってきました。ぼくが家を飛び出したとき、兄もこんなふうにぼくを探してくれたのでしょうか。 「ねえ白うさぎさん。ぼくも手伝うから、もう一度一緒に黒うさぎさんを探してみましょうよ」 ぼくはこのとき初めて気づいたのです。 昔、兄の元を出て行ったぼくは、本当は、兄に探し出してもらいたくていなくなったのです。ぼくは兄に、ぼくを見つけてもらいたかったのです。きっと黒うさぎも、ぼくと同じ気持ちのはずです。 「でも……」 白うさぎはしばらく迷っていましたが、やがて力強くこう言いました。 「そうだな、もう一度探してみよう」 そしてぼくらは黒うさぎを探しに行きました。東も西も南も北も、とにかく探し回りました。けれどやっぱり黒うさぎはどこにもいません。嘘みたいに、どこにもいません。 今度こそあきらめるしかないのかと、ぼくたちは疲れきって、池のほとりに戻ってきました。 「やっぱりもう、だめなのかな……」 白うさぎが、力なく呟きました。その目は、池に映ってゆらゆら揺れる月をぼんやりと眺めています。 ぼくは目をつぶって、兄の顔を思い出していました。もうずっと会っていない兄は、ぼくの記憶の中で、白うさぎと同じように、悲しげに水面の月を見つめています。 そのときでした。 ガサガサと草を揺らす音がして、ぼくははっと目を開けました。 音のした方を見ると、ぼくの家のカゲで、何か黒いものが動いています。それはなんと、大きな黒うさぎでした。 「黒うさぎ……!?」 白うさぎが驚いて大声で叫びました。ぼくはあんまりびっくりして、ぽかんと口を開けて見ていました。 「ごめんね、いきなりいなくなったりして……」 黒うさぎは、なんとか聞こえるくらいの小さな声で言いました。白うさぎは、ちょっと恐い顔をしましたが、すぐに優しい顔になって言いました。 「いや、おれのほうこそ、どなったりしてごめんな」 黒うさぎは安心したような顔になり、白うさぎの隣まで来ました。 ぼくは置きっぱなしにしていた夕ご飯を思い出し、 広げました。白うさぎと黒うさぎにも、おにぎりを渡しました。 黒うさぎは、ぼくと目が合うと、恥ずかしそうに、ちょこんと頭を下げました。ぼくも、小さく頭を下げました。 そして黒うさぎは、おにぎりを手に、恥ずかしそうに話し始めました。 「ごめんね、いきなりいなくなったりして……ぼく、君に嫌われてしまったと思ったんだよ。だって君、ものすごく怒っていたんだもの」 もじもじと、おにぎりに話しかけるように黒うさぎは言いました。 「すごく悲しかった。君に嫌われたことが怖かったんだ。だから逃げ出した。でもひとりぼっちになったら、もっと悲しくて、寂しかった。だからぼく、もう月へ帰ろうと思ったんだ。そうしたら、ここに来てびっくりしたよ。だって君がいたんだもの。ぼくのことを探しにきてくれていいたんだね」 話しながら、黒うさぎの声は、だんだん明るくなっていきました。 「ぼく、嬉しかったよ。ぼくは君から逃げたつもりだったけど、本当は君に探して欲しかったみたいなんだ」 黒うさぎの気持ちがぼくには痛いほどよくわかりました。 そうなのです。昔のぼくも、本当は兄に探してもらいたかったのです。 ぼくがいなくなることで、ぼくの大切さに気づいてほしかったのです。 「だけどぼく、もうひとつわかったことがあるんだ。勇気を出して、自分から戻ることも大切なんだって。きちんと会って、話して、自分の気持ちを伝えることも必要なんだって」 ぼくは、はっとしました。 そうです。会おうと思えば、ぼくはいつだって兄に会いにいくことができたのです。 「じゃあ、そろそろ帰ろうか」 白うさぎが、少し照れたように、赤い顔で言いました。黒うさぎもうなずいて立ち上がると、そろってぼくの方を向きました。 「いろいろと世話になったな」 「夕ご飯、ごちそうさまでした」 それから、そろって大きくお辞儀をすると、なんと池に跳びこんだのです。しばらく池は波うっていましたが、やがてその波もおさまると、うさぎたちの姿はどこにもありませんでした。よくよく見てみると、池に映った月に、黒いうさぎのカゲがあるのが見えました。うさぎたちは、池に映った月から、自分たちの月へ帰ったのでしょうか。 次の日空にのぼった月には、いつもと同じように、うさぎたちのカゲがありました。じっと目をこらしてみると、ウスのようなカゲの後ろに、うさぎの耳みたいなカゲが見えます。今ごろ白うさぎと黒うさぎは、仲良く一緒にモチつきをしていることなのでしょう。 ぼくは明日、兄に会いにいくつもりです。 ←真夏の幻影 旅→
photo by 空に咲く花
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