適正男


『適正男』というものを、ご存じだろうか?
 適正男は、何か物事を決めねばならないとき、それが適正であれば、その決めごとをする人の耳元で、どこからともなく、「それは適正である」と囁く、謎の男のことである。
 なんだその怪人は、と思われるかもしれないが、これがなかなか馬鹿にできない存在だったりする。
 たとえば、法律案。彼が「適正である」と囁いた法律案は、必ず時代に即し、民衆に受け入れられ、広く適用されるようになる。
 また、国の予算。国民の税金でまかなわれることの多いこの予算、彼が「適正である」と囁いたものは、国中の誰もが納得するほど素晴らしく運用され、そして、決して政治家の懐にしまいこまれることなく使用されつくすのである。
 国家レベル以外でも、彼は動いていた。
 たとえば、とあるサッカーチームのメンバー決め。監督が三日三晩悩んだ挙句、彼が「適正である」と囁いたメンバーは、必ず当たり、そのチームは優勝を手に入れたという。野球やバスケットでもまたしかり。
 しかもそれは、世界大会レベルから、ご町内の草野球にまで及ぶというのだから、適正男の活躍範囲は計り知れない。ひょっとしたら、知られていないだけで、幼稚園児のおままごとの役割分担にまで、例の囁きかけをおこなっているのかもしれない。
 しかし、私は最近、この適正男のことを疑っている。
 私が長年をかけてつくりあげてきた、わが子ともいえる会社。
 その今期の運営法案を決めたところ、例の適正男が、私の耳元で囁く声を聞いたのである。「それは適正である」と。噂通り、姿を全く見せず、声だけで。
 私はそれを信じ、その案を実行した。
 ところが、それは大失敗し、会社は倒産。資産はすべて取り上げられ、私は今や路頭に迷う身。
 それもこれもすべて、あのとき私の耳元で囁いた、適正男のせいである。
 はたして適正男の言葉が適正であると、一体だれが判断するのだろうか?
「その考えは、適正である」
 疑問に思った私の耳元で、囁く声が聞こえた。



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