点


「点島虫」
 あたしは昔、てんとうむしの漢字を、そんな字だと思っていた。
 だって、てんとうむしって、点々模様だし、それが離れ離れに浮かんでいる島みたいにも見えるし。だからあたしは、てんとうむしは、ずっと「点島虫」だとばかり思っていたのだ。
 それが間違いだと教えてくれたのは、彼だった。
 彼は、いつも笑っていた。ずっとにこにこしているから、何か楽しいことでもあるのかなと思って聞いてみたら、最初は、秘密といって教えてくれなかった。それでもしつこく聞いてみたら、そっと教えてくれた。誰にも内緒だよ、といって。でも、それは、楽しいことでもなんでもなかった。
 彼はいった。いつも笑っていれば、誰かに、どうしたの? とか、大丈夫? とか、いわれなくてすむからだと。昔は、笑うことなどなかったらしい。けれどそれだと、周りの人から、機嫌が悪いの? だの、どうかしたの? だのと、聞かれることが多かった。彼は、干渉されるのが嫌いらしい。だからやがて、いつも笑っているようになった。笑っていれば、みんな自分をそっとしておいてくれるから。
 あたしは悲しくなって、話の途中で泣いた。そうしたら、彼はびっくりした顔をしていた。彼の話で、他人のあたしが泣くことが、理解できないという。あたしはただ、悲しいと思ったから泣いただけなのに。
 それから彼とは、色々な話をした。正確には、あたしが話して、彼が聞いていた。彼はあたしがどんな話をしても、にこにこと聞いていてくれた。けど、その笑顔は、あたしの話が面白いからじゃなくて、彼が自分を守るための笑顔にすぎないのかもしれない。そう思うと悲しいけれど、反面、絶対に心から大笑いさせてやろうという気にもなってくる。
 あたしたちは、よく一緒にいるようになった。
 いつだったか、あたしが例によって話をしている時、てんとうむしが飛んできて、あたしの肩に張りついた。あたしがびっくりしていると、彼がてんとうむしをとってくれて、自分の指に乗せた。
 そして、てんとうむしを乗せた人差し指を、ぴんと、上に向かって突きたてた。すると、てんとうむしは、彼の指の上で、どんどん上へとのぼっていく。後もう少しでてっぺん、という時、彼は不意に、手の形は崩さず、人差し指を増したに向かって下ろした。慌てて、今までと逆の方向、新たな上へとのぼり始めるてんとうむし。後もう少しでてっぺん、という時、彼はまた、その転地を逆転させた。
 彼はいった。こうやって、てんとうむしは、上へ上へとのぼっていく。周りがどんなにその環境を変えようと、ただひたすらお天道様を目指して。「天道虫」っていわれるだけはあるよね、と。
 あたしはその時初めて、己の間違いを知った。てんとうむしは決して離れ小島の寂しい「点島虫」ではなく、お天道様を目指す「天道虫」だったのだ。
 恥ずかしい、と同時に、あたしはその馬鹿みたいな間違いが、自分事ながら、おかしくてたまらなくなって、笑い出してしまった。
 急に笑い出したあたしにきょとんとしている彼に、なんとかかんとか、事の次第を説明する。すると、彼も笑い出した。今までとは違う、笑いを。
 その時あたしは、ああ、勝ったな、と思った。
 でも、それをわざわざいうのも悔しいので、彼にはいわない。ただ自分の中だけで、彼への勝利をかみしめている。
 もうひとつ、その時に気づいたことがある。
 笑った彼の首筋に、黒い点がいくつもあったのだ。それがほくろだということはすぐにわかったのだけれど、散り散りにあるその黒い点を見た時、ああ、点島虫だ、と思った。
 けど、自分の首筋なんて、彼はろくにいないだろうから、きっと気づかないだろうな、自分が点島虫だということに。気づいたら、彼も天道虫になれるのかしら?



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photo by Follet