名猫スニッフィー


 よく日射しの入る部屋の中、ふかふかのムートンマットの上に体を丸めて眠る猫が見える。ガラス窓一枚隔てたここからでも、安らかな寝息が聞こえてきそうだ。彼女の名前はスニッフィー。今、巷で人気の名猫だ。
 彼女の名前が知られるようになったのは一月ほど前。飼い主がとある動画をインターネット上に投稿したのがきっかけだ。スニッフィーの前に次々と現れる毛皮製品、それらのうち天然素材でない物に対して彼女は唸り声をあげ跳びかかり、ひっかき噛みつき、無残なぼろきれに変えてしまうのであった。「違いのわかる猫」「偽物を許さない正義のにゃんこ」「人間の上をいく鑑定猫」――ネット上でそう書き込まれた動画へのアクセス数は急上昇し、彼女はまたたく間に有名猫になった。
 ここで私の出番である。私は、あるテレビ局に勤める者。担当する番組の中でスニッフィーのことを取り上げられないかと、なんとか飼い主から取材の許可を得て、こうして彼女の元に来ることができたとのだ。
「どうです、あれは上等の百%純毛のムートンマットなのですが、気持ち良さそうに寝ているでしょう」
「まさに至福の表情ですね。私の実家にも猫がいますが、あれ程の満ち足りた寝顔は見たことがない。余程毛皮が好きなのでしょうね」
「ええ、正真正銘本物の毛皮がね」
 苦笑しながら、スニッフィーの飼い主は、愛おしそうにガラス窓越しに愛猫を見つめた。四十代半で早くもつるりと禿げあがった頭や腕などに見える爪跡から、スニッフィーが中々お転婆娘であることが窺える。
「えー、ところで、可愛らしい寝顔は十分楽しませてもらったことですし、そろそろ特技を直に見せて頂いても……」
「そうですね。では、しばしここでお待ちを。毛皮をいくつか取ってきますから」
「いえ、それには及びません。必要そうなものはすべてこちらで用意してあります」
 私は、手持ちのバッグから毛皮のマフラーやらショールやらを取り出して見せた。もちろん、半分は安価なフェイク製品である。
「それはそれは、どうもありがとうございます。では早速、これら品で始めますので、このまま窓越しにご覧になっていて下さい」
「待って下さい。できればその役、私にやらせてもらえませんか」
「……なんですって?」
「疑うわけではないのですが、どうもあの動画はできすぎている。いくら猫が毛皮に敏感とはいえ、ああも正確に偽物をかぎわけられるものでしょうか。まさかとは思いますが、与える毛皮のうち、本物にはまたたびでも仕込んでおいて、偽物には猫の嫌いな臭いを含ませているのではないでしょうね?」
「それでわざわざ毛皮を用意して下さったと」
「はい。そして失礼ながら、これから細工されることを防ぐためにも、あなたには触ってほしくない。なので、是非私にこれらの品を猫のところまで持っていかせて下さい」
「いやしかし、それはちょっと……」
「何故ですか。私が猫に近づくと、何か不都合なことでもあるというのですか。まさかあそこで寝ているのは本物の猫ではなく、あなたが趣味で作ったロボット猫であるとか……」
「とんでもない。あれは紛れもなく生きている我が家の猫です。動画には載せませんでしたが、毛皮以外でも、どんな偽物も誤魔化しも嫌う、正義感溢れる我が家の愛猫です」
「毛皮以外の偽物もですって? それはいい。それが本当ならば、ますます話題になる。警察からお呼びがかかるかもしれませんね。しかしまずは、私の手で、私が持参した毛皮で試させてもらいましょうか」
「……わかりました。しかし、あなただけはやめてください。やるのなら、あなた以外の人にやらせて下さい。そうでないと……」
「さては、私が他の人間を連れてくる間に、何か細工をする気ですな。そうはいきません。私は報道に携わる者として、ありのままの真実を伝える義務がありますのでね」
「あ、ちょっと……」
 私は飼い主の制止を振り切り、スニッフィーの眠っている部屋に押し入った。ドアの音のせいか、彼女はぼんやりと目を覚ました。
「さあ猫ちゃん、その鑑定眼を見せてくれ」
 途端、スニッフィーの目が変わった。さっと起き上がると、身を低くし、まさに獲物を狙う猫となった。その目は、どんな偽物も許さない、正義の炎に燃えていた。そしてその視線の先にあるのは――私の頭部である。
『どんな偽物も誤魔化しも嫌う、正義感溢れる我が家の愛猫』『あなただけはやめてください。そうでないと……』
 飼い主の言葉の意味を理解した瞬間、私はこれまで自分の頭部を覆い隠していた毛の一群に、正義の爪が食い込むのを感じた。



←奥さまの薬      ある村にて→


photo by 空に咲く花