相談


「あ、もしもし?」
「はい、こちらなんでも相談室でございます」
「あの、ちょっと聞いてほしいことがあってお電話したのですが……」
「はい、なんでもおっしゃってください。そのためのなんでも相談室です」
「はあ、あの、ですが、こちらにおかけして間違っていないかどうか……」
「なにを言っておられるのやら。なんでも相談室と銘打っているのですから、どんなことを相談されても問題などございません。嫁姑問題でも学校の成績不振でも職場の人間関係でも円形脱毛症のことでも今日の夕飯のメニューでも、なんでもお気軽にお話しください」
「そう言っていただけると、いくらか気が楽になります」
「それは良かったです。お電話していただいた方にすっきりしていただくのが我々の仕事。で、あなたの本当のお悩みとは?」
「それがですね、どうも私、自分が犯罪者に思えてならないのです」
「ははあ、ストレスからくる心の不調というやつですね。そういったご相談も、時折ございます。夕飯に鶏肉を食べた、飛んでいた虫を潰した、野良犬にエサをやらなかった。些細なことで非常に罪悪感を覚え、自分が生きていることすら間違っているのではないかと思えてくる」
「いえ、私は何もそこまでは……」
「おっと失礼。まあ、そういった方も世の中にはいるという話です。それで、あなたはどのような犯罪をしているように思えてならないのでしょうか?」 「それがその、どうも自分は泥棒をしているのではないかと……」
「ふむ。無意識のうちにお店の商品を持ち帰ってしまっている気がしているわけですね。しかし冷静に考えてみてください。あなたのお家に、ひとつでも身に覚えのない品物が増えていますか」
「いえ、なにも……」
「でしたら、ご心配はいりません。あなたは何も盗んでなどいないのです」
「しかし、その、目に見えないものを盗んでしまっている可能性は……」
「なるほど。なかなか重症のようですね。目に見えないものというと、臭いでしょうか? 香水売場を通りかかって自分に臭いが付着すると、それだけで盗みを犯したような気分になっているとか。はたまた、料理番組で紹介されたレシピを使ったことで、他人の味を盗んだ気になっているとか」
「いえいえ、違います。そういったことではなく……」
「人間の五感といえば、視覚に味覚に嗅覚、触角と聴覚もある。とすると、陳列棚の商品に触って試しただけで罪悪感にさいなまれているとか? あ、まさか、違法公開されている音楽をダウンロードしたことを気に病んでいるとか」
「どれも違います。もっとこう、無意識にしか感じていないものというか……」
「じれったいですね。では、あなたは何を盗んでいるというのですか」
「その……」
「はっきり言ってください。これではどちらが悩んでいるのかわからなくなってしまいます」
「あの、笑いませんか?」
「笑うですって? 私は、誰のどんな相談にでものるためにこの仕事をしているのです。もしあなたが本当に罪を犯しているとしたら、優しく諭して自首することをお勧めしますが、笑うなどということはありませんよ」
「では……その、私が盗んでいると思えてならないのは、時間なのです」
「時間ですって?」
「はい……」
「ははあ、わかりました。特に何をするでもなくだらだらと日々を過ごすことで、時間を無駄に使っているとお思いなのですね」
「いえいえ、私自身の時間ではなく、他人の時間を泥棒している気がするのです」
「というと、お仕事のお悩みでしょうか。自分の仕事のはかどりが悪いせいで、他人の仕事を増やしてしまっている。つまり、他人の時間を奪っている、とお考えになっているとか」
「いえいえ。仕事の悩みといえば、仕事の悩みなのですが、それとはちょっと違って……」
「なかなか複雑そうですね。話し方からして、あなたは真面目そうな方ですし、一生懸命仕事をしても、取引先が本当は自分の存在を迷惑に思っているのではないかとご心配されているとかでしょうか。あるいは、自分が今のポストにいることで、他人がその地位につく可能性を摘んでしまっていると思いつめていらっしゃるとか」
「そんな複雑な悩み、考えたこともありませんでした」
「これも違うと」
「はい。それにしても、さすがは悩み相談のプロと言うべきか。こんなに即座に色々な可能性をお話しいただけるとは……」
「しかし、そのどれも当たっていなくては意味がありません。さあ、どうぞそろそろ、あなたの胸の内をお話しください。この電話は逆探知などできないようになっていますし、お名前も名乗らなくても結構です。偽名だってかまいやしません。具体的な個人名・固有名詞をあげられなければ、あなたがどこの誰だか特定することは、まったくといっていいほど不可能です。心置きなく、満足されるまで悩みや不満をお話しください」
「でも、私の場合、これを話せば私が誰だか特定されてしまう気も……」
「そう思われるということは、まさかそれなりの有名人ということでしょうか。声だけではわからないということは、あまり人前には出ない方ということ……おっと失礼。詮索してはいけませんね」
「そうですね、そうしていただけるとありがたいというか……」
「わかりました。それでは、あなたがここまでなら話してもいいという範囲までお話しください。いえ、これも無理強いですね。これでは、話したところであなたのストレスは増えるだけかもしれません。いっそ、具体的にどういったことを悩んでいるか、つまり、どういった風に他人の時間を盗んでいるように思えるかを話すのではなく、つらい、苦しい、後ろめたい、そういった感情だけを吐き出してしまってはいかがでしょうか」
「なんてお優しい言葉。さすがは悩み相談のプロ」
「なに、最近読んだ本の受け売りみたいなものですよ」
「本ですか?」
「ええ。近頃売れている作家さんの本なので、ひょっとしたら、あなたも読んだことがあるかもしれませんが。『人生において大事なことは、起こった出来事よりも、それを自分がどう受け止めたかだ』。この言葉が、私はいたく気に入りましてね。よろしければ、本のタイトルをお教えしますので、あなたも読んでみてはいかがでしょうか。大変感動いたしますよ」
「いえ、それは結構です。その……多分、私も知っている本だと思うので」
「そうでしたか。でしたら、心がお疲れのいまこそ、その本をじっくりと読まれることをお勧めしますよ。私はもう何度も読み返して、すっかり本がぼろぼろになってしまいました」
「そうですか……そうですか」
「さあ、それでは、本を読まれる前に、どうぞ思いのたけを私にぶつけてください。どんな汚い愚痴でも知り合いには言いづらい弱音でも、なんでもお気軽におっしゃってください」
「いえ、やっぱり大丈夫です。どうも私、仕事柄しばらく人と話していなかったので、ちょっと人恋しくなっていただけみたいです。こうしてお電話越しとはいえお話しできたことで、大分楽になりました。どうもありがとうございました」
「おや、そうですか。ずっと黙っていると、気持ちが滅入るものですものね。お役に立てて良かったです。もしまたそんな気分になりましたら、遠慮せず、どんどんこちらまでお電話ください」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
「こちらこそ、そう言っていただけると嬉しい限りです。私のことを気に入っていただけたようでしたら、次回お電話された際、別の者が出ましても、オペレーター15番をお願いします、と言っていただければ、私に代わるようにいたしますので」
「はい、15番ですね。覚えておきます」
「ありがとうございます。ではまた、お話しできる日をお待ちしています」
「はい、どうもありがとうございました」


「……やれやれ。私が小説を書くことで、その本を読んだ人たちの時間を泥棒している気がして、悩んでいるというのに。まさか、相談しようとした相手が、私の本の読者とは。あんなその場の思いつきだけで書いたものが、まさか大ベストセラーになるだなんて。ああ、あれを読んだ人たちは、私があの本を書かなければ、きっともっと楽しいことにその時間を使えただろうに。はてさて、この気持ちを一体誰にぶつけたものか……」



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