誰かの話 この世の中、とかく文章書きは文章書きを、漫画描きは漫画描きを題材とするものが多い。どうしたことだか。やはり、人間、自分の体験したことでしか想像できないものなのだろう。なってもいない大統領の物語をかくのは少々難しいようだ。 そこで、小説家を目指すいち青年の私も、例に倣って、小説家を主人公とする小説をかいてみようと思う。 さて、まず主人公をどのような奴にするかだ。やはりここも例に倣い、私自身をモデルとする人物にしてみるとするか。だとすると、年は二十代の終わり、学校にも定職にも就いていない、夢にむかってひたすら頑張っている青年ということになるな。夢というのは、もちろん小説家だ。 一人暮らしで、バイト先の女の子にひそかに思いをよせているというのはどうしよう。我ながら、あまりにべただ。やめよう。それにもし、この小説で一躍有名になりでもしてみろ。その女の子も読むかもしれない。そうしたら、私の思いはすべてばれてしまうではないか。やはりやめるべきだ。告白は堂々したほうがよい。 では具体的にどんな話にしようか。やはりここも、私自身の日常を基にするべきだろう。しかし、私の日常といっても、バイトと創作活動の繰り返しでしかない。これをどう処理するか。 とりあえず、小説でもかかせてみるか。さてどんな話にしよう。私がかかないかぎり、主人公もかかないわけだしな。何か面白い話はないものか。ない。あるならば私が自分でとっくにかいている。なのに、何故私がこいつの分も話を考えなければいけないのだ。不愉快だ。やめよう。 はて、ではどうしよう。どうしようもないな。いや、これこそ、まさに私の人生そのものではないか。どうしようもない。私は、私の人生をモデルとする小説家の話をかくことに成功したのだ。これはいける。どうしようもなくないではないか。 早速執筆にとりかかるとしよう。ぼやぼやしている暇はない。もうすぐ世紀の名作が生まれるのだ。 作家を志す青年の、ただ、これだけの話。 ←サクラ 冬の幽霊→
photo by 少年残像
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