冬の幽霊


 寒風吹きすさぶ中、そいつは石の上に腰かけていた。
 町のはずれ、すぐ前の通りには、人っ子一人歩いていない。
 そいつは頬杖をつきながら、ぼんやりと考えていた。
 冬は嫌だなぁ。
 冬の幽霊ほど暇なものはない。
 生きていた頃は、冬にも幽霊が存在するだなんて、考えてもみなかった。
 毎年夏になれば、やれ女の幽霊が出たの、やれ子供の霊と出会ったの、テレビに雑誌に大騒ぎだった。
 例年話題に上る心霊スポットも少なくない。
 まさか夏がくるごとに店を開ける海の家じゃあるまいし、幽霊も、ネタになる季節以外は別の仕事、というわけにはいかないものだったのだなぁ。
 それにしても、暇すぎる。
 夏はよかった。
 誰かが前を通り過ぎるたび、変な気配を感じたの、あの辺りは妙にひんやりするだのと噂が飛び交ったし、地元の小さな出版社とはいえ、取材まで来たこともあった。
 幽霊になって何度か夏を経験したが、その度に、有名人になったようで、なかなか悪くない日々であった。
 毎晩のように訪れる肝試しの若者たちを、ちょっとばかし脅してやるのも、生きているときには味わえない楽しみであった。
 季節が移るにつれて、そんなこともなくなっていったわけだが。
 今では、通りを歩く人は、一日に一人いればいい方。
 通ったところで、幽霊の気配になど気づきはしない。
 それ怖がれ、と精一杯冷気を送ってやっても、冬の寒さに溶けこんでしまう。
 いっそ、クマやカエルのように、冬眠でもできればいいのになぁ、と思ってしまう。
 思ってはしまうが、冬眠どころか、そもそも幽霊には普段の睡眠すら必要ないのだ。
 生きていたときは、毎日時間に追われ、寝る間も惜しんで働いていた。
 一日が三十六時間あればいいのにと思ったことも少なくない。
 ところが、死んでしまえばこれである。
 つまらないものだなぁ。
 なんでもできた生前は、やるべきことがいっぱいで時間がなくてなにもできず、やるべきことのない死後は、時間ばかりがあって、なんにもすることがない。
 幽霊になりたての頃は、世の中やら生きている人間やらに対する怨みも確かにあった。
 けれど、死後数年を経過した今となっては、夏に他人を脅かすことは、恨みを晴らす行為ではなく、最早ただの娯楽であった。
 その娯楽も、人が怖がってこそのものである。
 誰も通らない、誰も自分に気づかない。
 そんなことでは、面白くもなんともない。
 今日もまた、日の出から日没まで、誰一人怖がらせることなく時間が過ぎてしまった。
 すっかり暗くなったことを確認すると、幽霊は石の上から立ちあがった。
 そして、のんびりとした足取りで、町の方へと歩いていった。
 夏と違って、どんなに生きている人間に近づこうと、誰も幽霊の存在になど気づかないのだ。
 冬の冷たい空気が、幽霊の異質な気配など隠してしまう。
 町までの時間も距離も気にすることはない。
 なにせ時間はたっぷりあるし、幽霊は疲れないのだ。
 さて今夜は、どんな映画を見られるのだろうか。
 夏に肝試しに来ていた若者たちは、冬の夜は、暖房のきいた自宅で映画を見ているのだ。
 そこにそっとお邪魔して、一緒に映画鑑賞をさせてもらうのが、このところの幽霊の日課だった。
 幽霊が来ることで室内の温度が少し下がるが、騒がれることはない。
 今夜は冷えるね、で終わる話だ。
 町に着くと、幽霊は、明かりの点いている一軒の家へと、壁をすり抜けて入っていった。
 そこではちょうど、流行りの恋愛映画が始まるところであった。
 中睦まじくソファーに並ぶ男女の後ろに幽霊は立った。
 寒い冬の夜に、わざわざ怖い映画を見る者は滅多にいない。
 幽霊の存在など欠片も出てこない映画を、本物の幽霊は楽しんだ。
 目の前で、肩を寄せ合う男女を観察しながら。
 冬の幽霊の夜は、これに限る。




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