白い道


 夢のことである。
 自分は、どことも知れぬ道を一人で歩いている。
 不思議なことに、辺り一面真っ暗で明かり一つ無いというのに、自分の姿と、自分の歩く白い道だけはしっかりと見えている。
 自分は今どこを目指して歩いているのか、とんと見当がつかぬ。
 しかし、夢とはそういうものである。
 自分は先のわからぬ道を歩き続ける。
 その内、ふと気付くと、隣を歩く者がある。
 まだ年端も行かぬ少年に見えるそれは、きっと前だけを見つめて、自分と変わらぬ足取りで白い道を歩いている。
 自分の視線に気づいたのか、少年は自分へと顔を向けると、それまでの無表情が嘘のように、にっと笑顔を向けてくる。
 青白い顔の口の端を吊り上げて、にっと笑みを作るのである。
 その瞬間、自分は直感した。
 この少年は、幽霊である。
 なるほど、一度そう思うと、確かにそう思えてくる。
 不健康すぎるほど青白い顔は、よく見ると透けているようであるし、いくら歩けども疲労の影も見えない。
 何故幽霊が自分と歩いているのだという謎はあるが、これは夢の話である。
 自分は深く気にすることなく、少年と白い道を歩き続ける。
 やがて自分と少年は、行列に行き当たった。
 何の列かはわからない。
 ただ、並んでいる人々はみな、少年と同じ青白い顔をしている。
 幽霊の行列である。
 自分と少年は、その最後尾に着く形となって、道を歩き続ける。
 妙な夢を見るものである。
 別段怪談話が好きというわけでもないし、最近その手の話を聞いた記憶もない。
 友人知人親戚に不幸があったというわけでもない。
 ぼんやりと夢の理由を考えてみるが、思い当る節はない。
 自分は考えるのをやめた。
 夢とは、説明のつかないものだから、夢なのである。
 しばらくすると、この行列が何物であるかが見えてきた。
 地獄の釜である。
 ぐらぐらと煮えたぎる湯の満ちた巨大な釜。
 その中に、一列に並んだ幽霊が順々に、どぼん、どぼんと飛び込んで行っているのである。
 いよいよ、自分の夢も恐ろしくなってきた。
 ただの夢とはいえ、こうなってくると、いい加減覚めて欲しいものである。
 自分はどんどん短くなっていく行列に並びながら、のんびりと思った。
 そういえば昔、どことも知れぬ高い崖から、命綱の一つもつけることなく飛びこむ夢を見た。
 あの時も、このような心持ちであった。
 自分は恐怖心を持ち合わせながらも、所詮夢であると思い、底の見えぬまま崖から身を躍らせたのであった。
 ああ、落ちたなあ、と思った途端、自分は、自分の部屋の天井を見上げていた。
 目が覚めたのである。
 きっとこの夢もそうなるであろう。
 自分は、そう考えると、ぐつぐつと音をたてている大釜と正面から対峙した。
 いつの間にか、自分が大釜に入る順番になっている。
 自分は風呂にでも入るように、大釜へと身を沈める。
 一向、目の覚める気配はない。
 それどころか、嫌に熱い。
 熱くて、熱くて、どうにかなってしまいそうである。
 隣を見ると、ここまで一緒に来た少年が、あまりの熱さに身悶えしている。
 湯の熱さもさることながら、少年の形相に、自分は心底恐怖した。
 しかし、これは夢である。
 地獄の釜も、幽霊の行列も、すべて現実には存在しない、想像の産物のはずである。
 いつの間にか横を歩いている少年や、明かりもないのにはっきり見える道などといった非論理的な現象など、夢でしか起こりえないことなのである。
 そう、これは夢のことである。
 夢でなければいけないのである。
 夢だからこその理不尽さなのである。
 しかし、もしこれが夢でないとしたら、自分は……。



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photo by Follet