肩の上の


 最近妙に肩が重い。それも左肩だけだ。毎日毎日デスクワーク生活のサラリーマンなのだから肩が凝るのも当たり前だとは思うが、それにしても重すぎる。まるで何かが乗っているかのようだ。
 ある日、耐えかねた私は、思いっきり左の肩を叩いた。痛い! という悲鳴と共に、自分の肩とは別のものを叩いた感触。
「神を叩くとは、何をする!」
 私は耳を疑った。ここは職場で、周りは見知った同僚だけ。その誰の声とも似つかない、老人のような声がしたのだ。
「わしはお前さんの左肩の上におる。見ようとしても無駄じゃぞ。人間にはわしの姿は見えんでな。声もお前さんにしか聞こえん」
「まいったな。肩凝りのみならず、幻聴まで聞こえ出すとは」
「理解できんものをすべて幻とする、現代人の悪い癖じゃな。わしは神じゃぞ。幸福をくれてやろうと思って、ここにおる」
「そりゃあ、もらえるものならもらいたいが、幻聴の神ではなあ」
「ほっほっほ。まあよい。もし本当に幸福が欲しいのならば、今夜眠るとき、左肩の辺りに千円札を置いて眠るがよいぞ」
 それきり声は聞こえなくなった。別に信じるわけではないが、一人暮らしの三十男。枕元にお札を置いて眠ったところで、誰に見とがめられることはない。それに、なんの変化もない冴えない毎日だ。ちょっとくらい変わったことが起こっても面白い。私は夜、野口英世を左肩に添えて眠った。
 朝起きると、枕元の千円札がなくなっていた。寝ている間にどこかへ飛ばしたかなと布団をひっくり返したが見つからない。幻聴に惑わされてもったいないことをしたと思っていると、またもあの声がした。
「昨夜はどうもの。ほれ、約束のものじゃ」
 突然、私の両肩が激しく叩かれた。今まで経験したことのない感覚。凝り固まっていたものがほぐされ、軽くなっていき、不思議と体の内から力が湧いてくるような……。なんの力かはわからないけれど。
 しかし、これが神の幸福だとすると、ずいぶんとしょぼいものである。これでは、そこらの整体に行くのと変わらないではないか。千円ですんだから安いといえなくはないが。
 複雑な気分で出社した私は、いつものように机に向かった。いつもの量の書類を片付け、そろそろ昼飯に行こうかと時計を見た私は驚いた。なんと普段の半分の時間で仕事が終わっていたのだ。昼時にはまだまだ早い。
「ほっほっほ。どうかの、わしの幸福の効果は」
「あ、この声。一体どういうことなんだ。まさか、幸福とは、人より一日の時間が長くなるとか、そういったことだったのか?」
「時間が長くなったわけではない。わしの力でお前さんの頭が冴えわたり、これまでよりも格段に仕事の効率があがった。それだけのことじゃ。気に入ったのなら、今夜は五千円札を置いて眠るがよいぞ」
 その夜私は、樋口一葉を横に眠った。翌朝、それは姿を消し、代わりに心地良い刺激が私の肩を打った。その日は仕事がハイペースで終わるだけでなく、現在滞っている案件の解決策が浮かんだ。それを上司に提案するとすぐに採用され、今まで話をしたこともなかった役員に私の名前が知れ、近い昇進を約束された。
 数日後、本当に昇進した私に、神は一万円札を要求してきた。福沢諭吉と引き換えに、またもひらめく社の改善策。それによって得られる報奨金。神に一万円札を差し出すたびに、私は社の問題を解決するアイディアを思いつき、そして昇進をしていった。もう十分出世したからと、神への生贄をやめたこともあった。しかしその日は肩が重くやる気も出ず、仕事でミスを繰り返し散々であった。私はその夜、二日分の金を置いて眠った。
 やがて私は社の役員になった。そこまで来るのに、神は夜のお布施に札束を要求するようになっていた。少しでもケチると、途端に左肩が重くなってくる。頭がぼんやりとし、通勤途中にあやうく車にはねられそうになったこともあった。役員の給料でも、神へ奉げた金をのぞけば、わずかな生活費しか残らなかった。まったく、これでは、稼ぐために金を払っているのか、金を払うために稼いでいるのかわからない。
「最初は福の神かと喜んだが、とんでもない。疫病神だったのだな」
「福の神も疫病神も、人間が勝手に名付けたものじゃて。それに、たとえわしが疫病神であったとしても、神は神じゃ」



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