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 やっと仕事に一区切りがつき、私はため息と共に筆を置いた。
「ずい分お疲れのようですね」
 声は、真後ろからした。聞き覚えのない声に不審に思い、私はゆっくりと振り返った。
「驚かせてしまったようで、どうもすいません」
 それは、不気味な生物だった。大きさは人の握りこぶしほど。奇妙にねじくれた尻尾を赤黒い体から生やし、座った私の目線の高さに浮かんでいる。
「この姿を見てお察しかと思いますが、私は悪魔です。あなたの三つの願いを叶えるためにやってきました」
「なるほど、確かにその姿、話に聞く悪魔そのものだな。で、よくあるお話通りに、願いを叶える代償に、人間の魂を持っていくわけか」
「いえいえ、とんでもない。そんなことをしては、私がここに現れた意味がありません」
 悪魔は慌てたように、妙に人間臭い動作で手を振った。
「悪魔がするようなことだから悪さなのか、悪さをするから悪魔なのか。鶏が先か、卵が先か。とかく悪魔は人に害をもたらすものとされていますが、とんでもない。私どもは、悪事に興味もなければ、人間の魂をもらっても持て余すだけなのです」
「しかし、世界各地にある悪魔伝説や伝承では、悪魔は人間を困らせたり連れ去ったりと、あまり良いことはしていないようだが」
「それなのです。一体どこからそんな話が出たのやら。人間社会では、悪魔のイメージダウンは甚だしいものです。おかげで、私ども悪魔は、肩身が狭いったらありゃしない」
「それで、いっそそのタチの悪い話通りに、悪事を働いてやろうと思ったわけか」
「まさかそんな短絡的な。無計画にも程があります。私どもは、どうにか悪魔の本当のところを知っていただこうと、議論に議論を重ね、ある方法を思いついたのです」
「その方法とは?」
「つまりそれが、私が今ここにいるわけなのです」
 悪魔は誇らしげに胸を張ってみせた。
「私どもは考えました。三つの願いなどという伝承が数多くあるのは、人々がそれを望んでいるからに違いないと。そこで私どもは、人間の三つの願いを叶えてあげることにしたのです」
「じゃあ、やはり魂をいただく、人間にとって悪いことをするんじゃないか」
「話は最後までお聞きください。私どもは、願いを叶えますが、なんの代償もいただきません。つまり、無償で人様のお役に立とうというのです」
「なるほど、それが本当なら、素晴らしい話だ」
「そうでしょう。そこでまず、その第一回目として、あなたが選ばれたわけです」
「私が選ばれた?」
「はい。いくら良い事でも、みさかいなしに行なっては、なんの有り難味もありません。厳選なる抽選を行なって、年に一人だけ、私どもで願いを叶えて差し上げることにしたのです」
「確かに、誰も彼もが願いを叶えてもらっては、世の中はひどいことになるだろう」
「ええ、ええ。誰もが金持ちになりたいと望んでは、みなが大金を持ち、世の中に金が溢れ、その価値がなくなってしまいます。誰もが一番になりたいと願っても、一番は一人だからこそ一番なのです」
「いちいちごもっともな話だ」
「ありがとうございます。では、私どもの趣旨をご理解いただけたところで、早速、このご奉仕活動の最初の幸運者であるあなた様の願いを叶えさせていただきたいのですが」
「それはありがたい。本当に、無償で願いを叶えてくれるのならばな」
「本当にとは、どういうことでしょう?」
「これ幸いと調子に乗って願いを叶えてもらった後、やはり魂をよこせと言われるかもしれない。悪魔の口が巧妙なのは、よく聞く話だしな」
「そういう悪いイメージをなくすために、私どもは誠心誠意、ご奉仕しようというわけなのです」
「しかし、それこそが嘘でないとどうして言える」
「それはもう、私の言っていることを信じていただくほかにはないのですが」
「それみろ。そんな危なっかしいことができるか」
「では、願いを叶える権利を放棄なさいますか? それですと、また別の方に抽選で権利が移ることになるのですが」
「いや、仮にお前の言っていることが本当だったとしたら、それは損をすることになる。しかも、代わりに他人が願いを叶えてもらうなど、面白くない」
「では、私は一体どうすれば」
「自分たちの都合で今みたいなことをしてみろ。本当にお前らを信用していいのか、頭を悩ます奴らばかりになるぞ。もしお前らが真実人間のためになりたいと思うのなら、余計なことはしないことだ」
「しかしそれでは、私ども悪魔のイメージが……」
「悪いままだと言いたいのはわかる。だが、本当に良いことをするには、時に泥を被ることも必要なのさ」
「そうですか。仰るとおりかもしれません。私は一度戻り、その旨、悪魔のみなに伝えることにします」
「ああ、ご苦労だったな」
「いえいえ。ご忠告、感謝いたします」
 そう言うと、悪魔は霧のように消えてしまった。
 それを見届けると、私は机に向き直り、さきほど完成したばかりの仕事に目を向けた。
 恐ろしい悪魔を、美しい天使がやっつける物語。ベストセラー作家である私の、シリーズ最新作だ。
「調子はいかがですか?」
 真後ろから、今度は聞きなれた声がかけられた。
「ああ、順調だよ。今、ちょうどできあがったところだ。ちょっと読んでみてくれ」
「はい、では……」
 私は振り返り、原稿の束を声の主に渡す。声の主は、早速それに目を通し、読み終えると満足そうに微笑んだ。
「毎度のことながら、素晴らしい出来栄えですね。特にこの悪魔の描写。身の毛もよだつとは、まさにこのことですね。それを正義の味方である天使がやっつけるところも、またなんともいえぬ快感です。やはりあなたにお頼みしてよかった」
「お褒めいただき、光栄だ」
「あなたの作品を読んだ人々は、悪魔とは悪いもの、恐ろしいものと思うことでしょう。そして、天使はそれを裁く正しきものと。私たちの計画通りです」
 声の主は、その背に生えた白く大きな羽をはばたかせ、うっとりとした目で言った。見るものの心が洗われるようなその姿は、まさに天使そのものだった。
「これからも、あなたのご助力、ご活躍を期待していますよ」
 そう言い残すと、天使は光に溶けるようにその姿を消した。
 この物語を書き世の中に広めるということで、私は天使どもに、一生の幸福を約束されたのだ。悪魔が本当は言い奴らだなどとなってみろ。私の今までの苦労が水の泡だ。
 私は自分の幸せのために、悪魔が嫌われるような物語を書き続ける。何故天使が悪魔を悪者にしたいのか。それはわからないが、そんなことはどうでもいい。



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photo by ひまわりの小部屋