種


 A氏は病院を経営していた。
 といっても、それほど大きなものではない。小さなベッドとA氏の開発した特別な機械のある診察室、あとは待合室がある程度の、とても小さな病院だった。
 しかし、大いに繁盛し、待合室は常に人でいっぱいだった。
 人には誰しも、大なり小なり不満がある。
 たとえば、電車の中で、隣の人の肘がぶつかった、道を歩いていたら車が通り過ぎ、泥がはねて服が汚れた、楽しみにとっておいたお菓子を兄弟に食べられてしまった、などなど。不満の種類にも、人それぞれある。中には、他人から見たら不満どころか歓迎すべき状況のものもあるかもしれない。
 生きていく上で、どうしても避けては通れない不平や不満、不快感。それらの多くは、他人により与えられるものである。
 先の例でいえば、電車内の隣人、車の運転手、兄弟がそれである。それらに、すぐに文句を言えるのなら、世の中、そうストレスはたまらないだろう。
 されど人間社会、思ったことばかりを言って生きていけるわけではない。ちょっとしたことには目をつぶることも必要だし、言いたくとも言えない状況というものもあるだろう。
 仮に、車の通行のせいで泥をかぶった人が、後に運転手と出会い、話をする機会を得たとしよう。もちろん、泥をかけられた人は、運転手にその時の文句を言う。しかし、運転手からしてみれば、そんなことは知りもしないし覚えていない。今さら言われてもどうしろというのだ、と、泥の跡などない、綺麗に洗濯された服を着て自分に怒りをぶつける人物をながめやるだけだろう。
 他にも、理不尽な上司への不満、あまり親しくないがマナーの悪いご近所さん、一つ文句を言えば十の文句を返す同僚。不満を表せない相手は多々存在する。
 では、その不満は、心の内にしまっておくことしかできないのだろうか。
 この問題を解決したのがA氏であった。
 A氏は、人々の内に宿り、発散できないでいる不平不満を吸い上げ、人の心の中から取り除くことのできる機械の開発に成功したのであった。
 A氏はすぐさま特許を取り、一つの病院をたちあげた。
 この機械は、たちまち大ヒットした。
 連日、A氏の病院には噂を聞いた人々が押し寄せ、その抱えている不満や怒りといった負の感情を、病院の機械へと吸い取らせていた。訪れる誰もが、来る時はいらいらとした表情であったが、帰るときにはさっぱりとした顔をしていた。
 こんな素晴らしい病院は世界に一つきりということで、地方どころか、世界中から患者は来た。A氏の治療法は、ベッドに横になり、機械と胸とをチューブでつなぐだけで、ものの数分で終わるものである。入院などの必要は一切ない遠方から来た人々は、滞在するための宿の確保が必要であった。必然的に、A氏の病院の周りには、宿泊施設が増えていった。
 また、A氏の病院は、管理が大変だからと、予約制は採用しておらず、直接来院した人を、朝の受付時間から、治療可能人数いっぱいになるまでを診察するというかたちであった。つまり、患者同士の競争を勝ち抜いて受付を済ませない限り、いつまで経っても治療が受けられないのであった。要領のいい者は行ったその日に治療を受けられたりもするが、タイミングの悪いときには、何日通いつめても受付終了という人もあった。宿に長期滞在する人は、年々増えていった。
 長期に滞在する人が多いとなると、がぜん生活品が必要とされてくる。A氏の病院の周りの宿泊施設群の周りには、スーパーマーケットやコンビニが立ち並び始めた。
 しかし人間、水と食料があれば生きられるが、そこに暇が加わると、なかなか生きていけないものである。A氏の病院の周りの宿泊施設群、その宿泊施設群の周りに林立するスーパーマーケットにコンビニ、そしてそれらの隙間を縫うように、娯楽施設がつくられ始めた。パチンコ屋にゲームセンター、ついには遊園地の建設計画まで持ちあがってきた。
 A氏の病院の周りは、いつしか建物であふれかえり、道は細く狭く、見上げる空も息苦しそうであった。
 こうなってくると、この状況に不満を抱く者が現れてくる。
 なんだここは、こんなごちゃごちゃしたところ、いられたもんじゃない。
 不満を取り除いてもらいに来たのに、別の不満が生まれていった。
 やがて、病院が一つきりしかないからいかんのだという意見が出てきた。
 機械を大量生産して、各地に病院をつくれば、こんなにおかしな町ができあがることもない。その上、多くの人が手軽に治療を受けることができる。病院を増やすべきだ。 しかし、A氏はその意見を受け入れなかった。
 頑として、病院はここにしかつくらない、特許を取っているのだから、他の人が似たような機械を作ることも認めない、また、どうせできないだろうと言って、譲らなかった。
 そんなA氏に対する不満が、人々の間に広がっていった。
 しかし、そんな不満も、A氏の機械にかかれば、たちまち消えてなくなってしまうのである。また、A氏の悪口を言った者は治療を受けさせてもらえないとの噂も流れ、誰も病院増設の件は口に出さなくなった。
 周りを奇妙な街に囲まれたまま、A氏の病院は繁盛を続けていった。
 別にA氏は、利益を独占したいから、他の人間に機械の製作を許さなかったわけではない。また、意地の悪さから病院を増やさなかったわけでもない。
 実のところ、この機械には大きな問題があり、それがA氏に、機械を増やすことをためらわせていたのであった。
 A氏の開発したこの機械、患者の胸とチューブでつなぐことで、その心の内の不平不満を吸い上げ、なくしてくれるというものである。機械に、その不平不満を吸い取られた後、患者はさっぱりとした気分で帰っていく。しかし、吸い取られた不平不満は、機械の中でどのように処理されているのであろうか。
 もちろん機械なのだから、いくら人間の不平や不満を取りこんだところで、ストレスなどというものがたまることはない。しかし、いくら目に見えないものとはいえ、存在する者を取り込んだからには、場所を取ってしまうものである。機械の中に蓄積された人々の不平不満のエネルギーは、満タンになると、機械の後方のチューブから、黒い小さな塊となって吐き出されていた。それは、まるで植物の種のような形をしていた。
 いや、実際、植物の種といっても過言ではなかった。
 人々の負の感情が生んだ種。それは、放っておくと、土も水もなくとも暗緑色緑の芽を出し、濃い紫や黒色の葉を茂らせていった。その成長は速く、一晩で、大人と変わらない背丈にまで到達するほどであった。
 最初の頃、A氏はこれを伸びるがままにしておいた。すると、数日の内にこの奇妙な植物はつぼみをつけ花開き、意思あるもののようにA氏に襲いかかった。とっさにA氏が手近にあったはさみで植物の茎を切り捨てていなければ、A氏は植物に飲み込まれていただろう。茎を切られて根と分断された花は、それでもしばらく、ひくひくと生きているかのように動いていた。
 A氏はこれを処理するため、毎日、病院を閉めると、一人部屋にひきこもって、発芽した植物を燃やしていた。最初の頃は市販の除草剤を使用していたのだが、どういう仕組みなのか、駆除されるたびに種は耐性をつけ、やがては除草剤ではびくともしなくなった。仕方なしに、多少費用はかかるものの、業務用の強い除草剤を使い始めたのだが、これにもどういうわけか、種は枯れることのない葉を生やすようになっていった。結局A氏は、もっとも原始的でかつ確実な方法として、火による駆除を行うことにしたのだった。
 毎晩毎晩、不気味に成長する植物を燃やしていると、A氏は、自分はとんでもないものを作ってしまったのではないかと思えてきた。いや、そもそも最初にこの種を見たときから、不安はあった。だからこそ、A氏は、機械を開発するとすぐに特許を取り、自分以外の誰にもこの機械をいじらせなかったのだ。
 A氏が機械を開発してから、ずいぶんと経つ。それだけ、多くの人が心を軽くしていった。しかし、機械によってストレスが取り除かれようとも、生きていれば、やがてはまた色々な不満が生まれてくる。A氏のところを訪れた人の中には、一度や二度どころではない回数治療を受けた者も大勢いた。一度ストレスのない状態を経験すると、もう二度と、前のように不満をためることなどできないと言う人物もいた。一種の中毒のようでもあった。
 あまりに治療を受けすぎて、ちょっとした困難にも、すぐにくじけてしまう人も現れてきた。誰かといるとストレスがたまるからと、他人と関わることをさける人が増えてきた。病院の周りに目立つ娯楽施設も、完全個室制が目立つようになっていた。そこだけではない、世界中で、ひとりぼっちがあふれていた。
 人類が打たれ弱くなるのと反対に、負の感情からつくられた植物は、どんどん強くなっていった。以前はマッチの火でも焼け落ちていた葉が、今ではバーナーの火であぶろうとも、そよ風に吹かれたようなものであった。A氏はあせっていた。
 次第に、人々は外出をしなくなった。一日に、誰とも会わない生活が当たり前のものとなっていった。
 人と会わないことで、ストレスをためる者が減っていった。不満を抱くことがなくなり、A氏の病院を訪れる者も少なくなっていった。
 しかし、A氏にそれを気にする余裕はなかった。
 機械が吐き出す種、そこから成長した植物は、最早炎などものともしなくなっていた。店から変に思われることを覚悟で買った火炎放射気も、部屋の壁を焦がし火事の心配をもたらしただけで、なんの効果もなかった。
 炎が駄目ならと、A氏は、今度は植物を凍らせる手段にでた。液体窒素を大量に購入し、植物へとふりかける。爆発物の処理にまで使用される化学薬品は、たちまち不可思議な植物を氷漬けにした。だが、それもやがては効力を失ってきた。
 ある時、ついに、巨大植物は、冷却剤にも完全なる耐性を身につけた。A氏の攻撃をしりぞけた植物は、根の部分をまるで足のように使って歩き、病院の外へと飛び出していった。A氏は慌てたが、さりとてどうしていいかもわからない。ただ、大変だ、大変だ、と叫びながら、辺りを駆けまわるしかしようがなかった。
 幸いというべきか、外を歩く人はいなかった。みな、人と関わることを恐れ、一人で部屋に引きこもっているのであった。だが、A氏の叫びを聞きつけ、窓から様子をうかがい、この異常事態を知った人は多かった。
 図鑑にも載っていないような、黒と紫の巨大植物が徘徊し、辺りの花壇や道路標識を飲み込んでいっている。こんなことが、現実なのだろうか。人々は、我が目を疑った。
 だからといって、何か行動を起こそうとした者はいなかった。家の中にいれば安全なようだし、一人で出ていって、何ができるというのだ。長く他人と接触していなかったので、誰かと協力してこの事態をどうにかしようという考えも起こらなかった。巨大植物は、誰に邪魔されることなく、我が物顔で、食事を続けていく。
 その内、この事態に気づいていないのか、一人の老婆が道を歩いてきた。何か動くものを感知するセンサーでもあるのか、巨大植物は目ざとく老婆に気づき、近寄っていく。老婆の方は、目が見えないのか、まったく巨大植物の動きに気づいていない。
 あっという間だった。
 窓から様子をうかがっている人々の前で、一瞬で、巨大植物は老婆を飲み込んでしまった。
 ごくん、という音を聞いた気がした人もいた。
 人々は、パニックになった。
 今までは、現実味のない景色をぼんやりと眺めていただけであった。
 しかし、人が一人飲み込まれた今、巨大植物の恐怖は本物になったのであった。
 カーテンを閉めて家の中が見えないようにして泣き叫ぶ者、じっと息をひそめて気配を消そうとする者、なんとか応戦しようと、家をひっくり返して武器になりそうなものを探す者。人々は、めいめい、個人個人で思い浮かんだ行動をとった。
 まさに阿鼻叫喚、人々が慌てふためくその中に、白くてふわふわしたものが、いくつも跳びだしてきた。そしてその白くてふわふわしたものたちは、我が物顔で往来を闊歩する巨大植物へと跳びついていった。
 最初、人々は、あまりのパニックに、そもそもその白いものたちの存在にすら気づいていなかった。が、いつしか、その場にいる全員の視線が、その白いものたちと巨大植物とに釘付けになっていた。
 なんと、どこからともなく現れた白いふわふわしたもの――うさぎたちが、巨大植物へと跳びつき、その葉を食べてしまっているのだった。
 まとわりつくうさぎたちを振りほどこうと、巨大植物は身をよじって暴れまわった。しかし、うさぎたちはしっかりと巨大植物にくっつき、その身をどんどん食していった。
 しばらく巨大植物と愛らしいうさぎたちとの戦いが続いたが、やがて力尽きたのか、巨大植物はよれよれと地に伏してしまった。人々が呆然と見守る中、倒れた巨大植物の残骸を、うさぎたちはきれいに食べつくしていく。
 すると、どこからか、ぴーっという口笛の音がして、うさぎたちは音の元へと走っていった。うさぎを呼んだのは、A氏の知り合いのB氏だった。駆け寄って来たうさぎたちの頭を、一匹一匹なでてやっている。
 B氏は、以前、A氏とともに同じ研究所にいた、旧知の仲だった。しかし、A氏が例の機械を開発して以来、まったく交流のない人物であった。そのB氏が、うさぎの群れをつれて現れ、A氏の機械が原因で暴れまわっていた巨大植物を退治してしまった。
 うさぎたちを誉めているB氏の元へ、A氏はふらふらと近寄って尋ねた。
「おい君、そのうさぎたちはなんなのだ? あんなに凶暴な、火炎放射気も液体窒素も効かないような巨大な植物を食べてしまうだなんて……」
 A氏は言いながら、しまった、と思った。
 今の言葉で、自分がこの植物に詳しいことがばれてしまっただろう。そもそも、自分の病院からこの植物が飛び出してきたところを目撃されていないと、どうして言いきれる。それに、植物が外に出ていってしまった時、自分はあんなにも大声で騒ぎたてていたではないか。あの声を覚えていた誰かが、この騒ぎの原因が自分にあると言いだすかもしれない。B氏の前に現れるより、一刻も早くこの場から逃げてしまうべきだった。おそらく、誰よりも早く、自分はB氏に責められることだろう。
 しかし、A氏の心配をよそに、B氏はのんびりとした口調で話し始めた。
「それがね、君が例の機械を完成させたのとほぼ同じころに、僕もある一つの機械を発明していたんだ。いや、その、君などの素晴らしい機械と比べると、すごく見劣りのする、恥ずかしい機械なんだけれどね。そいつは、人々の『言えなかったありがとう』を吸い取る機械なんだ。ほら、誰かに何かをしてもらって、お礼を言いたかったんだけど、タイミングとか、自分の立場とか、世間体とかのせいで、なかなか言えずにいたことって、あるだろう? けど、言えないでいたことで、かえって心の中がもやもやしてしまう、そんなことってないかい? そんな、言いたくても言えなかった感謝の言葉を、僕のつくった機械に向かって言うと、機械がその気持ちを吸い取って、受け止めてくれるんだ。機械にうつされたその気持ちは、やがて機械の中で凝縮され、結晶となって出てくる。淡いピンク色をした、ちょっと見たところ、植物の種のようなものになってだ。はて、これをどうしたものだろう、と思っていたら、飼っていた僕のうさぎたちが、これを食べてしまってね」
「どんな害があるともしれないから、僕は慌てたんだけどね、どうも彼ら、こいつを気に入ってしまったようでね。機械のチューブの、種が出てくるところの前に居座って、じっと出てくるのを待ちかまえているんだ。君のところと違って、ずい分と小さな病院だし、ほとんど知られていないから、患者の数はとても少ないんだけどね。それでも、チューブの前で、種が出てくるのを待っているんだ。種を食べている時のうさぎたちはね、本当においしそうで、幸せそうなんだ。でも、僕はうさぎたちのためじゃなくて、人の役に立ちたいから、この機械をつくったんだ。君のところは、連日人が押し寄せて、病院の周りも栄えていっている。うらやましかったよ。僕もあんな風に、大勢の人の役に立ちたいなあって」
「そんな時だよ。いつもはチューブの前に張りついているうさぎたちが、いきなり飛び出していったんだ。何事だろうと思ったね。で、追いついてみれば、なんと僕のうさぎたちが、巨大な植物に食いついているじゃないか。びっくりしたよ。ほら、そこらじゅうが、嵐にでもあったみたいにひっくり返っているだろう。花壇なんか滅茶苦茶だし、あそこの電柱なんて、倒れて半分なくなっているじゃないか。これはきっと、全部あの植物の仕業だな、と思ってさ。だったら、それを倒したうさぎたちのこと、誉めてやらなくちゃね。本当は、うさぎたちの大好きな、あの種をあげるのが一番のご褒美なんだろうけどさ。ほら、最近は、一人で家にこもるのが流行っているだろう。患者もめっきり減っちゃってね。うさぎたちに、食べさせてあげる種がなかなかできないんだ」
「でも、うさぎたちが巨大植物を退治したことで、誰かがうさぎたちに感謝して、それを言えなかったことを気にして僕の病院に来てくれたら、それが感謝の種になる。そしてそれを、このうさぎたちが食べるんだ。まあ、そんなこと、あり得ないかもしれないけれど。でも、もしそうなったら、素敵だよね。言えなかったありがとうの気持ちが、ぐるりと回って、うさぎたちに届くんだ。あれ、どうしたんだい、君? そんな顔をして……」



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photo by 空に咲く花