さくら


 春のはじめ、桜を見て女が言った。
「今はこんなにきれいに咲いている桜も、もう少ししたらすべて散ってしまうのね。ずっと、いつまでも咲いていてくれればいいのに。」
 これを聞いてある男は思った。
「散っていく桜の儚さを思いやるなんて、この人はなんて優しい人なのだろう。世の中の人も、ほんの少しでいいから彼女のように自然に優しくなれたらいいのに。」


 春のはじめ、桜を見て女が言った。
「今はこんなにきれいに咲いている桜も、もう少ししたらすべて散ってしまうのね。ずっと、いつまでも咲いていてくれればいいのに。」
 これを聞いてある男は思った。
「しかし、桜は散るからこそ、より美しく人の目に映るのだ。世の中で、栄えたものはいつか必ず衰える。盛者必衰だ。散らない桜は、きっと不気味で、また、うっとうしく思えるに違いない。」


 春のはじめ、桜を見て女が言った。
「今はこんなにきれいに咲いている桜も、もう少ししたらすべて散ってしまうのね。ずっと、いつまでも咲いていてくれればいいのに。」
 これを聞いてある男は思った。
「そうはいっても、現実に桜は散るものだから、嘆いても仕方ないだろう。大体、桜が散らなければ夏は来ない。夏が来なければ春も来ない。そんなことも分からないこの女はなんて馬鹿なのだろう。」


 春のはじめ、桜を見て女が言った。
「今はこんなにきれいに咲いている桜も、もう少ししたらすべて散ってしまうのね。ずっと、いつまでも咲いていてくれればいいのに。」
 これを聞いてある男は思った。
「確かに、桜が散らなければ、この美しい景色をいつまでもみられるだろう。しかし、それだけにしては彼女の様子は随分と真剣だ。きっとこれには訳があるに違いない。そうだ、『最後の一葉』と同じように、この桜がすべて散ったら、彼女も死んでしまいそうな病にかかっているに違いない。なんてかわいそうな人だ。」


 春のはじめ、桜を見て女が言った。
「今はこんなにきれいに咲いている桜も、もう少ししたらすべて散ってしまうのね。ずっと、いつまでも咲いていてくれればいいのに。」
 そして心の中で言った。
「桜が散らなければ、葉桜になって毛虫が大量発生する心配がないのに……。」



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photo by 少年残像