温泉老人


   君は温泉老人を知っているかい? 座敷童子と似たようなもんでさ。その老人が入った温泉は、効能抜群、商売繁盛ってやつさ。座敷が温泉に、童子が老人になったってだけだね。そのまますぎるって? いいだろう、名前なんて、わかりやすい方が。
 それでさ。その温泉老人ってのは、誰も人のいない、真夜中に温泉に入るらしくてさ。そいつが入った温泉は、どんなオンボロだろうと、客が集まるようになるんだってさ。
 ほら、最近話題になってる、あの温泉宿。知ってるだろ? 今行きたい話題スポットナンバーワンのさ。あそこも、人気が出たのはほんとについ最近だよな。何が言いたいか、わかるだろ? あそこもそうらしいんだよ。温泉老人が入ったんだってさ。掃除係の従業員が見たっていうんだよ。こう、よぼよぼの爺さんが、頭に白手ぬぐい乗せてさ。露天風呂に浸かってたから、今は営業時間外ですよって声かけたら、すっと湯けむりに紛れて消えちまったんだってさ。できた話だよな。
 ところで、この温泉老人、すでにある温泉以外にも出るらしいんだよな。これは兄貴に聞いた話なんだけどさ。ある夜中、とある山中を通りかかった人がいてさ。ちゃぷ、ちゃぷ、って水音が聞こえたんだって。山の中なのにさ。それで、その人、びびりあがったんだけどさ、やっぱりさ、恐怖より好奇心が勝ったってやつらしくてさ。見に行ったんだって、音のする方を。そうしたらさ、いたんだって。白手ぬぐいを頭に乗せた、よぼよぼの爺さんが。で、そいつが、入ってたんだよ。やっと人ひとりが浸かれるくらいの水が溜まった窪みにさ。そこが、なんと温泉の源泉だったんだよな。それで今、そこは温泉施設を建設中で、通りかかったその人は、石油王ならぬ温泉王になりそうだってわけだ。
 それで、結局何が言いたいんだって? まあ、そう急かすなよ。こっちも、なんて説明したものか、考えながら話してるんだからさ。
 えっと、とりあえず、温泉老人のなんたるかはわかってもらえたかな。それでさ、この温泉老人について、真剣に考えた人たちがいたんだよね。そいつらが、何を真剣に考えたかなんだけどさ。どうにかしてその温泉老人を捕まえられないかってことなんだよね。そいつらの言うには、温泉老人が入った温泉が必ず繁盛するならば、なんでもないお湯に温泉老人を入れれば、そこも温泉になるんじゃないかってことなんだ。逆もまたしかり、だってさ。
 それで、実際、それは半分成功したらしいんだ。さっき言った、温泉王。そいつがなんと、その山中で温泉老人を捕まえてたんだってさ。そして、温泉老人をなんの変哲もないお湯に入れようとした。ところがどうしたことか。湯に浸けた途端、もくもくと湯けむりがたちこめ温泉老人の姿を隠し、けむりが晴れた時には、人の骨みたいなのが数本浮かんでただけだったのさ。それが温泉老人の骨なのかなんなのかは、わかんないんだけどさ。
 でも、それで諦めるそいつらじゃなかった。その謎の骨を砕いて、湯に混ぜ込んだんだとさ。そして作ったのが、この温泉の素ってわけさ。もうわかるよな、君に何でこんな話をしたのか。もちろん、これを買ってもらうためさ。
 怪しい話だってのはわかるよ。こっちだって、兄貴に聞いた話とはいえ、その兄貴も友人に、友人も先輩に、先輩も弟に、弟も彼女に、彼女も姉に、姉も従兄に、従兄も知人に聞いた話だっていうんだから、疑うのも仕方のない話さ。だけどさ、何人もの、自分の知らない人を経由してる話だからって、信憑性がないと言い切れるかい? 逆に、信頼できるたったひとりからの情報だからって、必ずしも正しいと決められるかい? 難しいよな。
 そもそも、内容が内容だって言ってしまえば、それまでなんだけどさ。そこも考えようでさ。自分が今まで見たことのない非科学的なものだから無理なんて言わずにさ。心霊現象、未確認飛行物体、占星術に終末予言。いつでも騒がれる話題だよな。何度だって。それは、中身の確かさとは別に、話題として需要があるからじゃないかな。
 なあ、どう思う? 君も結構聞き入ってたよね、温泉老人の話。この温泉の素を買えば、君もこの話を誰かにしやすくなるんじゃないかな。大丈夫。全部、君が聞いた通りに話せばいい。そして最後に、この温泉の素を売るんだ。そうすれば、その誰かもまた、同じことを繰り返していく。言いたいこと、わかるだろ? これ、買ってくれるよね。



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photo by 空に咲く花