月 月のない夜のことだった。 僕は一人で隣町の叔母さんの家から帰る道を歩いていた。辺りは本当に真っ暗で、わずかな星明りと手にした懐中電灯だけが頼りだった。道は小さな林の中を通っていたのだが、時間が時間だからか、僕以外、人っ子一人歩いていなかった。ホー、ホー、とどこからかフクロウの声が聞こえる。薄気味が悪いと思ってもおかしくはない夜なのに、不思議なことに、僕はその時ちっとも恐くなかった。ある種の予感があったのかもしれない。 叔母さんから渡されたお土産のかごをぶらぶらとさせながら、僕はのんびりと歩いていた。急いで帰ったところで、どうせ家族はみんなもう寝てしまっているだろう。せっかく良く晴れた夜なのだ。たまには星を楽しむのも悪くない。僕は久々にくつろいだ気分で歩いていた。 すると突然、目の前に何か小さなものが飛び出してきた。驚いて足を止めると、その小さなものも驚いたように僕を見ていた。 「お、お前は誰だ!」 小さなものは子どもの声で僕に言った。僕はびっくりしすぎて口もきけなかった。その小さなものとは、なんと子狐だったのだ。地面に身を低くしながら、僕を威嚇するような体勢でこう言ったのだ。 「だ、誰だって……」 口をもごもごさせながらなんとか答えようとする僕を遮るように、子狐はまた言った。 「光が見えたから母さんが帰ってきたんだと思ってきてみれば、お前は何だ!? 母さんの狐火とよく似ているが、お前も狐なのか!? ならなんで人間の姿をしているんだ!?」 子狐はかんだかい声でひと息にまくしたてると、唸り声を上げながら僕をにらみつけた。 「驚かせてしまってすまない……僕はただの人間だよ。ここは君たちの縄張りなのかい。悪いけど、ちょっと通らせてもらっているよ」 僕が恐る恐るこう言うと、子狐は毛を逆立てて怒りの声を上げた。 「嘘をつくな! 人間がそんな狐火を使えるわけがないだろう! ぼくがまだ子どもだと思ってバカにしているな! さてはお前、この林をのっとりに来た隣の山の狐だろう!?」 そういうなり、子狐は僕に跳びかかってきた。僕が慌てて飛びのいた拍子に、かごから何かが転がり落ちてしまった。 突然、子狐の表情が変わったかと思うと、物凄い速さでかごから落ちたものに飛びついた。がつがつとそれをほおばり始める。みるとそれは、叔母さんが僕によこしてくれたお饅頭だった。口の周りにあんこをつけながら、子狐は一心不乱にそれを食べているのだった。 お饅頭を食べ終わると、あっけにとられている僕に気付いたのか、子狐は、決まりが悪そうに顔を赤くした。 「もしかしてお前、お腹がすいているのかい?」 僕がもう一つお饅頭を差し出すと、子狐はぱっと顔を輝かせ、すぐにその小さな手を伸ばしてきた。僕の手からお饅頭を奪うと、あっという間にたいらげてしまった。 「ねぇお前、これは一体なんて言う食べ物なんだい? ぼくは今まで、こんなにおいしい食べ物を食べたことがないよ」 子狐はお饅頭が気に入ったらしく、さっきまでの警戒はどこへやら、可愛らしい声で聞いてきた。 「これはお饅頭っていう人間の食べ物なんだよ。おいしかったかい?」 「うん、すっごく。そうか、こんなものを持っているということは、お前は本当に人間なんだね。でもどうして人間が、ぼくたち狐と同じように狐火をつかえているんだい?」 「狐火?」 「その、右手に持っている火のことだよ」 子狐は僕の持っている懐中電灯を指差しながら言った。 「これかい? これは懐中電灯といって人間がつくりだしたものだよ。狐火なんかじゃないよ」 「へぇ、人間が? 人間って、そんなことが出来たんだ。……実を言うとね、僕、本物の人間を見るのはお前が初めてなんだよ。そうかぁ、人間って色々なことができるんだなぁ」 感心したように子狐はしげしげと懐中電灯を眺めてきた。その様子があまりにも無邪気で可愛らしかったので、僕は思わずこう言ってしまった。 「ちょっと持ってみるかい?」 「え、いいの?」 嬉しそうに言うと、子狐は僕から懐中電灯を受け取って、つけたり、消したり、なめたり、さすったりし始めた。ちょうど、僕の妹が、初めて見るおもちゃで遊ぶのとそっくりだ。 しばらくすると、子狐は懐中電灯を胸の前に抱えてもじもじしながら僕に言った。 「ねぇお前、これはすごいね。簡単に明りがついたりきえたりするんだから。ねぇお前、良かったらぼくにこれを譲ってくれないか」 「えぇ!? でもこれがないと、暗くて僕は帰れなくなってしまうんだよ……」 「暗くて帰れないってことは明りがあればいいんだろう? なら大丈夫、ぼくがお前の家まで送っていってあげるよ」 「一体どうする気なんだい?」 「まぁ、ちょっと見ていておくれよ」 そう言うと、子狐はえいっと気合いをいれて宙返りを一つすると、なんと小さなお月様に化けてしまった。 「どうだい、これならちっとも暗くないだろう。ぼくがこのままついていってお前の足元を照らしてあげるよ」 僕は狐が化けるのをその時初めて見たが、子狐があまり化けるのがうまくないことは、その弱々しい光やお月様の丸いのから尻尾が出てしまっているのを見てすぐにわかった。しかし僕は子狐の「さぁ行こうか」という声に押されるように歩き出していた。子狐の月は木と同じくらいの高さまで上がり、僕の足元を照らした。 ちょっとも行かないうちに僕の住む町の明りが見え始めた。真夜中に近い町を、街灯がぽつぽつと照らしていた。夜も深い町は薄く霧がかっていて、ここからでは街灯の明りは薄ぼんやりとしていた。 「ねぇお前、あれはなんだい、あれもカイチウデントウとかいうやつなのかい」 「いや、あれは街灯というんだよ」 「そうか、ガイトウというのかい。なんて綺麗なんだろう。まるで魔法のようじゃないか」 心底感動したように僕の頭上から子狐が言った。 「ねぇお前、ぼく、あのガイトウとかいうのをもっと近くで見てみたい。早くあそこまで行こうよ」 せかす子狐の声で僕ははっとした。これ以上人間の住むところに子狐を近づけていいのだろうか。ひょっとしたら、誰かに捕まえられて酷い目にあわされてしまうとも限らない。もう町は目と鼻の先だし、僕一人でも歩いていける。もう子狐を林に帰すべきだろう。 「いや、あそこへは行かないほうがいいよ。ここからは僕一人で帰れるから、もうお帰り」 「えぇ、ぼくもあそこへ行ってみたいよ」 「いい子だから、もう本当にお帰り。ほら、お土産にこれをあげるから」 そう言って僕は上に向かってお饅頭を見せた。子狐の月が、ぱっと輝きを増したように思えた。 「それ、ぼくにくれるのかい?」 「ああ、あげるとも。だから早くお帰り。お母さんももう帰っているかもしれないよ」 「そうだ、母さんはもうきっと帰っている。僕も早く帰らなくちゃ。……ねぇお前、もう一つだけお願いしてもいいかい。ぼく、母さんにもそのオマンジウをたべさせてあげたいんだ」 僕はわかったわかったと言いながら、残りのお饅頭を全て風呂敷で包んでしまった。そしてそれを頭上の子狐に投げてよこした。 「ありがとう、ありがとう」 子狐の月は、お礼を言いながら林へと帰っていった。 僕は家に帰ると、空になったかごを机の上において、窓から月のない空を見上げてみた。遠くから、子狐の鳴き声が聞こえた気がした。 今でも時々、空を見上げては思うんだ。 お月様には、尻尾が生えているんじゃないかってね。 ←雪 花→
photo by Simple Life
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