花


 掃除をしていたら、古いしおりをみつけた。
 子どもの頃につくった、押し花のしおりだ。あまりに時が立ち過ぎて、水分が抜けきったはずの花弁はかさかさになっている。それをとめているテープも、ちょっと触れただけで崩れ落ちそうだ。
 はてなんの花だったかなと首をひねっていると、下の方に書かれたへたくそな文字が目に着いた。
『おしろいばな』
 そうだ。そんな名前の花であった。
 小さい頃は、よくこの花の根元の部分を折り、中のめしべを引っこ抜いて、『落下傘』をつくって遊んでいた。
 初めてこの遊びを教わったとき、自分は落下傘などというものを知らなかった。『らっかなんとか』といえば、迷わず浮かぶものは、母の好物であった『落花生』である。『らっかさん』などというものは、聞いたこともなかった。
 だから、この遊び教えてくれた人は、落花生のことを『らっかさん』とおぼえ間違えているのだろうと思い、よせばいいのに「『らっかさん』じゃなくて、『らっかせい』って言いたいの? でもこれ、全然落花生に似てないよ?」などと言ってしまった。なんと馬鹿なことを言ったものだろう。あの時のことを思い出すと、顔から火が出そうだ。
 しおりにされている花は、落下傘にも落花生にもされていなかった。あの遊びを知る前につくったものなのだろうか。根元の丸い部分を折ってしまいたい衝動にかられたが、そうしたところで、この花は落下傘になることはできないだろう。
 今まで忘れていたくせに、できないとなるとやりたくなる。
 掃除を放り出してつみにいこうかと思ったが、外のどこへ行けば手に入るのか、とんと思い当たらなかった。季節もいつのものであったか、答えることができない。
 そういえば、この花に限らず、最近、どうも野生の花を見かけない気がする。
「花が見たいな」
 知らず、そうつぶやいていた。
 このつぶやきを、どうやらツレが聞いていたらしい。翌日、テーブルの上に、見事な青い花が花瓶に活けられていた。
「きれいでしょう。リンドウの花」
 ツレは嬉しそうに言った。
 不愉快だった。
 どうして、こいつはこう情緒を理解しないのだろう。見たかったのは、野に咲く自然の花々であったのに、勝手に気をまわして、こんな花屋の花など買ってきて。
 怒りにまかせてわめくと、ツレは頬をふくらませた。
「なによ。『野菊の墓』なんて読んでいたから、気をきかせて買ってきたのに。わたしがあなたにあげるなら、リンドウの方がふさわしいでしょう? 野菊がいいのなら、あなたが自分でとってきなさいよ」
 ツレはそれきり横を向いて、口をきかなかった。
 どうしてツレがこんなことを言ったのか。答えはすぐにわかった。
 あのしおりのはさんであった本だ。
 ツレはしおりではなく、しおりのはさんであった『野菊の墓』を見て、「花が見たい」と言いだしたのだと思ったらしい。
『野菊の墓』では、政夫が民子を野菊にたとえ、おかえしに、民子が政夫をリンドウにたとえて、互いに愛を語り合う。
 ツレは、『野菊の墓』を読んだことがない。読書が嫌いだから、あらすじだけ聞かせてくれてと言われて、たいして長くないからと、読んで聞かせてやったことがあるだけだ。そのときは、退屈だと言って、居眠りをしていたようだが、それでも、ちゃんと覚えていたらしい。
 テーブルの上の青い花と、口を固く結んだまま決してこちらを向かないツレを見比べ、腰を上げた。
 今時分、野菊が咲いているのかはわからない。
 咲いていたところで、その場所も知らない。
 けれど、赤く色づき始めた葉なら、家の前にでもあるだろう。
 今のツレと同じ、真っ赤になった葉なら、探せばみつかるかもしれない。
 子どの頃、『落下傘』を教えてくれたツレのため、『野菊の墓』を教えてあげた僕は、外へと駆けだした。



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photo by 空に咲く花