けめ子


 思い出話といわれても、難しいものです。ましてそれが文章になって、人様の目につくとなると。
 簡単なことでかまわない? それがまた難しいんですよ。とはいっても仕事は仕事、引き受けた以上はやるとしましょう。
 そうですね、こんな話などいかがでしょうか。
 昔僕の家の近所に、小さな骨董屋があったんですよ。骨董屋なんていうと洒落た店を想像しますがね、大人から見れば、なに、ただのガラクタ置き場ですよ。
 そこはですね、ひとりの若い女が商っていたんですよ。子どもの頃の記憶ですからね、実際には女の父親だか兄だかの店だったのかもしれませんがね、とにかく、僕がその店に行って相手してもらうのは若い女がひとりきりだった。
 女のことは、よく覚えてますよ。子どもの目にも、美人でした。それもとびっきりの。黒い、艶々の髪を、いつも後ろでひとつに縛っていました。子ども達は、女の後ろに廻ってその髪をほどいてやろうとしていましたが、成功した奴はいませんでしたね。美人ではありましたが、愛想のない女でした。いつも黙って、じっと店のレジに座っていましたよ。
 名前ですか? そうですね、仮にけめ子とでもしときましょう。もちろん仮名ってやつですよ。本名なんか、こんなところじゃおいそれと口にできませんからね。
 けめ子というのは、僕の従兄妹の女の子の飼い猫の名前なんですがね。おかしな名前でしょう。三毛猫の、拾われっ子でした。雪の日にふっと消えていなくなってしまったんですが。その時従兄妹はまだ小さかったのですが、雪の中、猫を探しに飛び出しましてね、僕ら年長者は、猫よりも彼女を探すことに必死でしたよ。
 何、その女の子は今どうしてるかって? いやいや失礼、これは話がそれてしまっていましたね。この際、猫の名前はどうでもいいのです。
 ただ、けめ子という響きはいいでしょう。僕は名前をつけるのが苦手なもんで、話の途中で仮名が必要な時は、この名前を使わせてもらっているのですよ。従兄妹には内緒でね。
 けめ子。あの骨董屋の女には、一番しっくりとくる気がします。猫なんかより、ずっと、ね。
 そのけめ子の骨董屋です。さっきはガラクタだなんていいましたがね、要は、子どもが喜びそうなものばかりが置いてあったってわけですよ。
 ならばおもちゃ屋じゃないかって? そんなハイカラなものではなかったんですよ。もっとこう古臭い、それでいて歴史を感じさせる何かのある店でした。
 そこで買った思い出の品でもあるんですかって? とんでもない。その店で買い物したことなんて、僕は一度もありませんでしたよ。どころか、その店で買い物をしたという人を、僕は見たこともないのです。
 店にはね、ちょくちょく行っていましたよ。学校帰りは骨董屋、というのが、子ども達の日常でした。だから店はいつも混んでいましたよ。そこでね、銘銘、好きなものを手にして過ごすんです。
 色々ありましたよ。変な模様の壺やら、びっくり箱みたいなもの。女の子の間では、オルゴールや古びたお人形が人気でしたね。お皿なんかもたくさんありましてね、僕のお気に入りは、その中の一枚でした。
 今でも、目の前に本物があるんじゃないかってくらい、よく覚えてますよ。白地にね、こう、青い模様が入ったものです。そんなに大きいものではありませんでした。僕はこいつに、いつか西瓜を載せてぱくりとやってみたくてね。店に行っては、いつも皿を前において、赤い西瓜の載っているのを想像していました。時には、上に色紙で作った偽者の西瓜を載せたりもしてね。
 そんなに気に入っていたのなら、お金をためて買えばいいと思うでしょう? 子どもの小遣いでは高すぎるものならば、親にねだって誕生日にでも買ってもらえばいいともね。
 ですがね、そうはいかなかったんですよ。
 その店の商品には、どれも値札はついていなかった。売り主であるけめ子に、直接値段を聞かなけりゃいけなかったんです。けめ子が店を出してすぐは、子ども達も、けめ子に値段を聞きましたよ。あの店は、宝物の山のようでしたからね。手に入るものなら手に入れたかった。
 最初に聞いたのは、誰だったかな。そうだ、当時のガキ大将です。どうも最近忘れっぽくていけない。ものはよく覚えてるんですがね。模型です。飛行機の。それも、今飛行機に乗ってもらえるオマケみたいなちゃちなものじゃなくて、持ち上げるとずしりとくるようなやつ。
 当人も買えるとは思っていなかったのでしょうが、返ってきた答えに、事の成り行きを見守っていた子ども達も、仰天しましたよ。
 けめ子はね、しばらくじっと、飛行機の模型とガキ大将とを見比べていましたが、やがてぼそりといいました。
 百万、と。
 町の小さな、子どもしか相手にしていないような骨董屋で、百万の品。どう考えてもおかしいでしょう。これを聞いて、大将、怒り狂いましてな。けめ子に掴みかかったんです。やい、ガキだからってバカにしてんじゃねえぞ、ってね。僕達は、ひぃっといって、後ずさりしましたね。ガキ大将ですからね。普段は頼れる奴でしたが、怒らせたら怖かったのなんのって。
 しかしけめ子はびびらない。静かな声と目で、こういったんです。だってあなた、それ、欲しいんでしょう、って。
 おうよ、欲しいよ、だからって足元見てんじゃねえよ。ガキ大将、どこで覚えたのか、そんな言葉でけめ子を怒鳴りつけましたよ。ですが、けめ子はひるみません。いや、むしろ相手にすらしていないという感じでした。
 買うの、買わないの? というけめ子を突き放し、とうとうガキ大将は帰っていきました。思い出してきました。彼の顔は、真っ赤でした。僕のお気に入りだったお皿に載せたくなるくらいにね。
 それから、けめ子に値段を尋ねたものが何人かいましたが、どれも高額な答えが返ってきました。店の品はどれも店内に放り出される形で、とても高価な品には見えないのに。
 その内、店の品の値段を順繰りに聞き始めた子どもがいました。けめ子は意外と親切なのか、仕事の一環と割り切っているのか、その一々に答えていました。するとどうでしょう。子どもが指さすもの指さすもの、けめ子はたいした値段をいわないのです。大抵の子どもになら、買える値段のものばかりでした。
 僕は緊張しました。その子の指は、店の右端から始まって、順々に左に動いていっていました。もうすぐ、僕のお気に入りの皿が、彼の指の先にくるのです。あと五つ、あと四つ。
 僕はポケットの中を探りました。小銭の感触。さっきまでけめ子があげていた値段分はありそうです。あと三つ、あと二つ。
 ついに隣の品がその価値を問われました。途端、いままでよどみなく動いていたけめ子の口が止まりました。じっと、子どもと棚の品とを見比べています。やがてぼそりといったのです。
 百万、と。
 子どもは泣きそうになりながらいいました。なんでこれはそんなに高いの、って。声を震わせながらいったんです。
 けめ子は、眉ひとつ動かさずにいいました。だってあなたが欲しいのは、これでしょう。
 子どもはわっと泣き出しました。周りの子は、だるまさんがころんだのように、ぴくりとも動きませんでした。いや、動けなかったのです。みんなが薄々と気づいていたことが、この時はっきりしたのです。
 そこは、自分が本当に欲しいものだけは高い店だったのでした。
 けめ子にはわかるのでした。その子が本当に欲しいものが。あの、爬虫類のような、ぎょろりとした目で。
 それからしばらく、けめ子に値段を聞くものはありませんでした。不思議なことに、売ってはくれないくせに、けめ子は子ども達が店の品を眺めたり、手にとっていじったりすることはとがめませんでした。ただじっと、いつも店の奥、レジに座っているのです。
 平和な時が流れました。しかし、それが破られる時はきたのです。卒業です。僕らの。僕らは小学生から中学生になるのです。当然、帰る時間もそれまでよりずっと遅くなります。骨董屋の閉まる時間は早く、中学生の放課後とはほんの少ししか重なりませんでした。あの、お気に入りのものと過ごす、幸せな時間がなくなってしまうのです。
 卒業式を控えたある日のことです。例のガキ大将が、思いつめた表情で骨董屋に入ってきました。ずかずかと一直線に、けめ子のいるレジへと行きます。
 あの模型、別に欲しくないけど買ってやるよ。これくらいで足りるだろ。そういって、ガキ大将はけめ子の前に小銭の山を置きました。彼はあれから、お小遣いを頑張って貯金していたのです。そのお金を、今、けめ子の前に出したのです。
 みんなは、どうなることかとけめ子を見つめました。その子が本当に欲しいものには、どうしようもなく高い値段をつけるけめ子です。本当は欲しくないという子には、そんな値段をつけないのではないでしょうか。
 誰もが見つめる中、けめ子は静かに、ゆっくりと首を振りました。横へと。ダメよ、私は本当に必要としてくれる人にしか、ものを売らないことにしているの。それにあなた、本当は欲しくて仕方がないのでしょう。なら、百万。
 ガキ大将、この答えに顔を赤くしましたが、そこは春から中学生、大人になったもので、そうか、と小さくいうと、ごそごそと小銭をかき集め、帰って行きました。
 欲しいものには手が届かない、必要としないものは売ってくれない。まったく、おかしな店です。
 これで終わりかって? いえ、まだ続きがあるんです。思い出話は難しいなどといっていおいて、ずるずると話してしまっていますが、今しばらくご辛抱ください。
 ガキ大将がけめ子に勝負を仕掛けた、その次の日のことですよ。僕は同じく卒業式を控えた同級生から、ある誘いを受けたのです。今夜、あの骨董屋に忍び込まないかという誘いを。
 特に親しくしていた友人、というわけではありませんでした。そんな彼らが、何故僕を誘ったのか、不思議に思うでしょう。ですが、当時の僕らには、それが極当然のことのように思えました。何故ってね、僕と彼と、それから例のガキ大将くらいだったんですよ。最初っから最後まで、あの店でのお気に入りが変わらなかった子どもは。
 僕はさっきお話した白い皿、ガキ大将は飛行機の模型、そして僕を誘った彼は、銀色のペーパーナイフが長年のお気に入りでした。僕はそのペーパーナイフを、よく見たことがありませんでした。なにせ、彼がいつも独占していたのですから。しかし、それは彼も同じでしょう。僕のお気に入りの皿のことなんか、彼は眺めたこともないでしょう。
 僕はその誘いをあっさり受けました。それほど、僕は皿が、彼はペーパーナイフが欲しかったのです。夜の骨董屋に忍び込む、そのスリルに惹かれたということもありましたが。
 その夜は、月のない夜でした。もちろん、彼はそれを計算に入れて僕を誘ったのです。頭のいい奴でした。金を払うという正攻法でどうにもならないなら、別の手段を考える。他の子ども達とは一味違っていました。
 僕はその夜、彼の家に泊まるといって家を出ました。彼は僕を途中まで迎えに行くという口実で、家を出ているはずです。彼の家に泊まるということも、夜の骨董屋行きも、他の友達には話していません。彼と僕との、ふたりだけの秘密でした。
 骨董屋の手前、もう閉まっている駄菓子屋の前で待ち合わせて、僕と彼とは行きました。手はずどおり、彼は姉のヘアピンを一本くすねてきています。詐欺師がやるという鍵開けをやってみるつもりだったのです。それでダメなら、石でガラスを割ってでも入るつもりでした。
 しかし、ことは拍子抜けするほど簡単でした。骨董屋に、鍵などかかっていなかったのです。手をかけると、なんの抵抗もなく扉は開きました。
 中は暗いこと以外、昼間の店と同じです。僕と彼とは、それぞれの目的のものまで真っ直ぐ進みました。もう、それの居場所は体が覚えてしまっているので、明かりなど必要なかったのです。
 僕は震える手で、皿を手に取りました。もう何度も手にした皿のはずなのに、初めて持つもののような気がしました。彼も同じ思いだったのでしょう。そっと、ガラス製品でも扱うような仕草で、ナイフを手に載せています。
 時間が、とても長く感じました。僕達はふと我に返り、急いで店を後にしました。持ってきた袋に各々の目的のものをいれ、それがあった場所は、不自然に開いてしまわないように他のものを移動させます。偽装工作を手早く済ませ、最後に店の扉を外から閉めて完了です。
 なに、窃盗じゃないかって? まあまあ、子どもの頃の話です、大らかな気持ちで聞いてくださいよ。それにまだ、続きがあるのですから。
 まるで何もなかったかのように、僕は彼の家にその晩泊まりました。ふたりとも、袋からそれを出すこともせず、普通に学校の話などをし、普通に寝ました。翌日も普通に起きて登校したのです。彼は部屋の隅に袋を置きっぱなしにしたまま、僕はランドセルに袋を突っ込んだ状態でした。皿が割れるのではないか、という心配は全くしませんでした。
 その放課後も、いつもの習慣で骨董屋に寄りました。当然、あの皿は店にありません。それと知った友達が、あのお皿売れちゃったのかな、残念だね、となぐさめの声をかけてきました。僕はあいまいにうなずき、その日は、友達が好きなものと過ごしているところを眺めていました。彼も、同じことをしていました。
 もうひとり、ものではなく人を見ている視線がありました。けめ子です。僕と、そして彼とを、あの爬虫類のような目で交互に見ています。何かいいたいことがあって見ているというより、ただ見ているという感じです。
 僕は居心地が悪くて、早く店を出たい思いでした。しかし、途中で帰るのも不自然に思えたので、いつもみんなで帰る閉店時間まで待ちました。とても長く感じました。昨夜の、暗い中での皿との逢瀬より、ずっと。
 翌日も、僕は骨董屋に行きました。皿は、ありません。あるのは、けめ子の無機質な視線のみです。責めるでもなく、諭すでもなく、けめ子はただ見ています。
 次の日も、また次の日もそうでした。
 そして、ついに卒業式の前日という日、また彼が僕のところへやってきました。今夜、骨董屋に忍び込まないか、という誘いをしに。僕は瞬時にうなずきました。実をいうと、その時、僕もそうしようと考えていたのです。
 あの皿は、あの日以来、袋に入ったままです。部屋の隅に、隠すように置いてありました。それを掴み、友達の家に泊まってくるといって、家を出ました。
 今夜は、細い月が空にかかっていました。もう、月明かりなど気にしている余裕もなかったのです。彼は僕より先に、駄菓子屋の前にいました。手には袋を提げています。
 僕と彼は、無言で骨董屋まで歩きました。袋がやけに重たく感じました。
 その夜も、簡単に骨董屋の扉は開きました。もし、今夜は鍵がかかっていたらどうしようかと思ったのですが、そんな心配はいらなかったようです。
 僕らは我先に店へ入ると、皿とナイフとを戻しました。あるべき場所へと。そして扉を閉めると、しばらくぶりに、ふたりで笑い合いました。 その夜は彼の家に泊まり、色々のことを話し、くだらないことで笑い、寝ました。
 翌日の卒業式は、快晴でした。卒業式なんて湿っぽいことなどやらず、弁当を持って花見にでも行きたいくらいでしたよ。僕の心は、昨夜以来、不思議と浮かれていたのです。
 卒業式の後は、真っ直ぐ家へと帰りましたよ。友達はしつこく誘ってきましたが、断りました。おそらく、彼も行っていないでしょう。
 その後も、骨董屋には行きませんでした。けめ子のことも見ていません。その内に、骨董屋は店をたたんだという話を耳にしました。
 大人になって、あの時の皿と同じようなものを見かけることが何度かありましたが、やはりダメです。あの皿でなけりゃ。記憶を頼りに、似たようなものを作らせたこともありましたが、それもいけませんでした。
 おみやげに西瓜をいただきましたよね。僕は単純なもんで、それでこの話をすることにしたのです。
 覚えてますか? 僕が、お気に入りの皿に西瓜を載せて食うことを想像していたって。僕はね、あれからずっと、西瓜は皿に載せずに食べることにしているんですよ。よく、汁がたれて汚いって怒られるんですがね。これだけは譲れません。僕にとって、西瓜を載せていいのはあの皿だけなのですから。
 おっと、これは思い出話にしても、長くなりすぎてしまいましたね。いけない、いけない。どうにも、僕は話すのが下手なようです。余計なことばかり口走ってしまう。
 このような長話にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。御縁があったら、また、どうぞよろしくお願い致します。



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