一方通行


 これは、ある日ある時ある場所での、ちょっと奇妙な物語。


 その日私は、正月休みを利用して、実家のあるX町に帰ってきていた。懐かしい町並みを、ぶらぶらとあてもなく歩いていたのだが…。


「あっれぇ〜?恭子?久しぶりじゃん!」
 角を曲がった所で会ったその人は、親しげに話しかけてきた。  私が不審に思って顔をしかめていると
「やだー!忘れちゃったの?あたしだよ、有希だよ!」
 有希……?誰それ。
 その人が自分の名前を名乗っても、私には全く、その人が誰なのか分からない。
「ちょっと恭子、どうしたの?マジで忘れちゃったワケ〜?」
 その人は、大丈夫〜?などと言いながら、私の肩を叩いてきた。大丈夫か聞きたいのはこっち!あんた一体誰!?
「あ……っ。あたし、これから行かなきゃいけない所があるんだ。バイバイ、恭子。またね〜!」
 一方的に喋るだけ喋って、その人は何処かへ行ってしまった。マジで誰…?あの人…。


「うっわ〜、恭子、久しぶり〜。元気してた?」
「うんうん。早織も元気だった?」
 町中で会った昔の友達に、自然と心が浮かれだす。さっきの変な誰かさんのせいで落ち込んでいた気分が、一気に明るくなった。
 しかし現実は無情。
「恭子〜、また会ったね!」
 再び私の心は暗くなった。数メートル先からこちらに手を振っているのは、先程会った有希≠ウん。
「……恭子の友達?」
 横で質問する早織に激しく首を横に振りながら、私は有希を観察した。割と小柄な方で、髪は真っ黒ストレート。赤いジャケットを羽織っていて、全体的に活発そうなイメージだ。
 ――やっぱり、この人を私は知らない。
「ねぇ……本っ当に、あの人知らない人なの?」
 にこにこと笑顔で近付いてくる有希を見て、早織が不安げに尋ねた。
「うん。全然……。」
 言いながら、私は少しずつ後ずさりしていた。有希は、相変わらず笑顔で近付いてくる。
「……行こ、早織。」
 そう言うと、私は回れ右をして、足早にその場を後にした。


「ねぇ恭子〜、何で逃げんの〜?」
 数歩後ろをずっと付いてくる有希を無視しながら、私と早織は歩いていた。
「恭子〜…何、シカト?」
 隣を歩く早織が、困り顔をこちらに向けている。
「恭子、あの人、頭大丈夫かな?だって恭子、あの人全然知らないんでしょ?」
 有希には聞こえないように早織がささやく。
「うん……。あの人、やっぱ変な人かな?」
 有希が何いつまでも付いてくるので、私達の歩くスピードは、徐々に上がっていた。
「……走ろう。」
 私は脇目もふらずに走り出した。このまま有希をまけるといいのだけど…。
 しばらく走ってから立ち止まって振り向いた私は、自分の考えの甘さを思い知らされた。
「恭子、いきなり走ったり止まったり、どうしたの?うけるんだけど」
 軽く息を切らした有希が立っている。やっぱり、これくらいじゃまけるワケないよなぁ……。
「ってゆーか恭子、何で逃げんのさ?」
 有希は、なおも喋りかけてくる。
「……あんた誰?」
「恭子、まだそんなこと言ってんの?だから、有希だってば!」
 私の心の底からの問いかけに対して、有希は、単に私がふざけているだけと思っているらしい。
「せっかく久々に会ったんだし、色々話そうよ!」
 ……そういえば、早織がいない。有希から走って逃げている間にはぐれてしまったみたいだ。
「あ!やっと見つけた、有希!」
 どこからか突如響いた声に、有希の顔が強張った。また変なのが現れたのかと、声のした方向に目をやると
「あ〜!大村さん!」
 そこにいたのは、中学の時同じクラスだった大村さん。当時はショートカットだったが、今は、クセのある髪をセミロングにしている。
「懐かし〜!元気だった?」
 突然の旧友の登場に、顔が自然とほころぶ。だが、大村さんの反応は違った。
「……あなた、誰ですか?」
 変な人でも見るような目つきで私のことを見ている。……私はこの目を知っている。だって、これは私が有希を見る時の目とそっくりなのだもの。
「ねぇ……冗談でしょ、大村さん。私、中学の時同じクラスだった恭子だよ。憶えてるでしょ?」
 恐々言う私に、大村さんは、首を横に振ることで否定を表した。
 うそ……。
 呆然と立ち尽くすしかない私。知らない人に追い回され、友達だと思っていた人に存在を否定され、町中で棒立ちしている私は、何てまぬけなのだろう。
「……ねぇ、有希。」
 大村さんが小声で何か言っている。大村さんは、有希のことを知っているんだ。
「あの人誰?有希の知り合い?」
 私には聞こえていないと思ってるんだろうけど、ばっちり聞こえているよ、大村さん。
 しかし、ぼんやりとしてしまっている私の前で、事態はまたまた意外な方向へと転ぶ。
「いえ、あの……確かにあの人……恭子はあたしの友達ですけど……。あなた、誰なんですか?」
 ――あなた、誰なんですか?
「今朝からずっとあたしのこと捜してましたよね、有希、有希って。あたしはあなたのことを全然知らないんですけど。」
 ――あなたのことを全然知らないんですけど。
 有希の言葉が、頭の中で何度もこだまする。この台詞は、私が有希に言ったものと全く一緒じゃない?どうなってるワケ?
 三人の間を、何ともいえない空気が流れた。誰も口を開こうとせず、自分が友達だと思う相手の顔を見ている。その目は三組とも、私達は友達だよね?≠ニ訴えている。
 誰も動かない、動けない。私は大村さんを、大村さんは有希をそれぞれ知っている。そして有希は私を友達だと言い、私は有希なんて記憶にない。大村さんは私を憶えてないし、有希は大村さんを知らない人だと主張する。
 これじゃ、完璧に記憶の一方通行じゃん。
 続く沈黙。いい加減、息苦しくなってくる。その沈黙を破ったのは、チリンチリンという自転車のベル。それと
「やっと見つけた、恭子!」
 それと、早織ぃ!?
「ずっと捜してたんだよ〜。」
 自転車に跨ったまま言うのは、どっからどうみても、先程はぐれた早織。突然の彼女の再出現に、私は驚きの表情を隠せない。けれど、同時に安堵も感じていた。ああ……やっと現実に戻れた。
「ゴメンね、早織、さっきはぐれちゃって。」
「ううん〜。うちこそ、はぐれてごめんね?」
 自転車のスタンドをたてながら謝る早織。これぞ友達。
「……恭子、その人友達?」
 有希が上目使いで私に尋ねる。私は小さくこくりと頷くだけにした。これ以上、この人達と一緒にいたくない。
「帰ろ、早織。」
「待って!」
 二人に背を向けて歩き出した私に声をかけたのは、意外や意外、早織だった。
「……?」
 怪訝な顔で振り返る私。早織は、変わらず自転車と共にたたずんでいる。
「何、早織……?」
 早織はきつい表情のままこたえない。意図が読めず私が更に顔をしかめると、早織は少しだけ表情を緩めて言った。
「理由はすぐわかるよ、恭子。」
 表情はまだきついのだが、早織の口調はやわらかい。あれ……?早織ってこんな子だったっけ……?
 私はその時、初めて早織≠ノ違和感を覚えた。
 チリリン
 ――ありゃ?
 再びよどみ始めた空気の中を、またも、場違いな自転車のベルが鳴り響いた。どうも、こっちに近づいてくるようだ。音の大きさからして、もう、すぐそこの角まできている。そこから出てくるのは、果たして、神か悪魔かそれとも人か。
 答えはもちろん三番目。姿を現わしたのは、自転車に乗ったお巡りさんだった。
「――叔父さん遅いよぉ。」
 そう言ってお巡りさんに手を振ったのは、何と早織。
「あー、すまんすまん。……で、問題なのはどの二人だい?」
 五〇代と思われるそのお巡りさんは、人の良い笑顔で言った。どうも、早織の知り合いらしい。
「そっちの赤いジャケットの人と、くせ毛セミロングの人だよ」
 早織はさらりと言う。突然の彼の登場と自分を示す言葉にびっくりしている有希と大村さん。そりゃそうだろう。
「あー、じゃあ、ちょっと来てもらおうか」
 唖然としている二人に近付くお巡りさん。そして二人の手首に、おもむろに取り出した手錠をはめる。
「んな……!?」/「何するんですか!?」
 同時に上がる、抗議の声。
「あー。話は署で聞くから」
 慣れた調子で、わめく二人をなだめながら、お巡りさんは行ってしまった。後に残されたのは、呆気に取られている私と、手を振って三人を見送っている早織。
「もしかして、理由って……。」
「ああいうおかしな人は、ちゃんと逮捕してもらわなきゃ。」
 震える私の言葉を遮って、早織は言った。
「さ、行こうか。」
 そして早織は、自転車を押して歩き出した。
 私は動けなかった。だって、前を歩くのは早織じゃない……私の知らない人だったのだから。
 それでも私は、懸命に足を動かした。少しでも早く帰りたい。
 どうやら私は、まだ不思議の国にいるようだ。



←旅      過去との遭遇→


photo by 塵抹