ダイアリー


 多重人格――一人の人間に全く異なる人格が現れ、別人のように行動すること。



   日曜日 ――高崎円たかさきまどか――


 いつの頃からだろうか。私の中には六人の他人が住んでいる彼ら≠ヘ年齢も性別も性格もばらばらで私の中に存在して いる。
 ――多重人格。
 私のような症状を世間一般では――医学的には認められていないが――そう呼ぶのだろう。
 今まで私は他人に気味悪がられるのが恐くて、必死に彼ら≠フ存在を隠し続け、彼ら≠ェ表に出ないようにしてきた。しかし、彼ら≠ェ私の中から消える気配は一向にない。そうそういつまでも世間の目から彼ら≠隠し通せるとは到底思えない。こうなったら、少しずつでいいから、彼ら≠ニ向かい合わなければ。
 ――そうだ。明日から、彼ら≠ノ一日交替で日記を書いてもらおう。
 日記にはその人の考え方が一番良く出るって、中学校の時の先生が言っていた。もしかしたら、何故彼ら≠ェ私の中に いるのかわかるかもしれない。




   月曜日 ――ゆう――


 七月十四日月曜日。今日は朝から雨でした。
 一番最初に日記を書けと言われたので、ちょっと緊張しています。よくよく考えてみれば、いつもわたしは円ちゃんが書く日記を見てはいたけれど、実際に自分で書くのは初めてです。何を書けばいいのかよくわかりません。円ちゃんはわたし達に日記を書かせることで何を望んでいるのでしょうか。
 円ちゃんはわたし達と違って、同い年の友達が何人もいます。でも、最近はあまりその子達と遊んでいません。きっとわたし達のことがお友達にばれるのが嫌だからでしょう。わたしは、円ちゃんにはたくさんのお友達といっぱい、いーっぱい仲良くしてほしいです。
 なんだか円ちゃんのお話ばかりになってしまいました。これじゃあ、日記とは言えませんね。
 今日は円ちゃんのパパが出張に行ってしまって、帰ってきませんでした。この広いお家の中に円ちゃんと二人だけになってしまい、円ちゃんのママは、少し淋しそうでした。わたしは円ちゃんも、円ちゃんのママもパパも大好きなので、早く円ちゃんのパパが帰ってくればいいな、と思いました。
 朝から雨が降っていたし、今日はなんだか色々な意味で暗い一日でした。明日は晴れたらいいなぁと思います。




   火曜日 ――しゅう――


 七月十五日火曜日。昨日の雨が嘘のような快晴だった。台風一過というやつだろうか。
 今朝は六時三〇分に起床し、七時二十五分に家を出て、三十三分発の電車に乗り、八時七分に学校に着いた。
 俺自身は二十歳だというのに、円に合わせて高校に行くというのは、なんだか馬鹿馬鹿しい。
 一時間目は公民だった。教科書をただ読むというだけの授業だったので、さらに馬鹿馬鹿しさが増した。あれでよく教師になれたものだと、きっちり七三に分けられた公民教師の後頭部を睨んでやった。もし俺が教員検定の試験官だったとしたら、絶対にこんな奴を教師にはさせない。させてたまるか。
 二時間目の授業は数学。よく喋る女教師だった。一時間目と比べれば遥かにましな授業だったが、話が脱線ばかりする のにはうんざりした。
 次の時間は保健だった。教科書を読みマーカーを引く単調な授業だった。単調すぎてクラスの半数近くが寝ていた。これでは公民教師のほうがまだいいと思った。唯一の救いは、公民教師よりも黒板の字が綺麗な点くらいだろう。
 今学期最後の授業となる四時間目は国語で古文だった。授業開始早々いきなりあてられて驚いた上、教師の声が小さくて聞こえづらかったが、授業自体はわかりやすかった。今日の四時間の中で最も良い授業といえたな。
 帰りのホームルームの後、軽く清掃をして十三時八分に学校を出た。同五〇分に家に着くと、円の母親が遅めの昼食を用意して待っていた。夏らしく、素麺と西瓜だった。今日も父親は出張から帰ってこないらしい。
 午後は図書館へ行き、十七時まで本を読んでいた。帰宅後は母親に頼まれて買い物へ行った。白米の御飯、豆腐とワカメの味噌汁、焼き魚に漬物というメニューの夕飯を食べると、日記帳を開いた。
 日記を書いてわかったが、取り立てて書(か)くこともない、馬鹿馬鹿しい一日だった。
 もし円が日記を書かせることによって円の中にいる俺達をどうにかしようと思っているなら、それこそ馬鹿馬鹿しい話だ。




   水曜日 ――拓也たくや――


 日記を書けだと……? 
 ふざけやがって、あの女。
 おれに命令するなんて、何様のつもりだ? 
 くだらねぇ、くだらねぇよ……。




   木曜日 ――冴子さえこ――


 七月十七日木曜日。晴れたり曇ったりと、なんだか落ち着かない天気だった。日曜日からは夏休みなのだから、気持ち良く晴れて欲しいものだわ。
 夏休みって、なんだかすごくわくわくするわよね。あたし自身はもう三〇代も半ばのおばちゃんだから、高校生の円ちゃんが羨ましいわぁ。今日だってクラスの子に、夏休み一緒に海に行かないかって誘われていたものねぇ。円ちゃんったら断ったけどね……。
 やっぱりあたし達のことを気にしているからなのかしら? 別に気にしなくていいって言っているのにねぇ。
 確かにあたし達だって表に出て――つまりは円ちゃんの体をのっとって――遊びたいけど、お友達といる時くらい、大人しくしているわよぉ。
 今日のロングホームルームの時間だって、本当はあたしの意見を言いたかったけど、円ちゃんが発言して目立ちたくないって言うから、あたしは黙ーって他人の意見ばかり聞いていたっていうのに。
 信用ないのかしら、あたし達?
 まぁ、その内なんとかなるわよねぇ。
 なんていったかしら……そう、「案ずるより生むが易し」ってやつね! あれ、何か違うような………。
 まぁ、きっとそんなものよ、人生なんて。どうにかなるわね。
 そうだわ、忘れるところだった。今日は夕方、円パパが出張から帰ってきたんだったわ。おみやげにおいしいお菓子を持ってね。円パパ、ご苦労様、そして御馳走様でした。




   金曜日 ――みお――


 七月十八日金曜日。今日は一日中晴れていて気もちがよかったので、学校が終わったあとぼくはまどかの体をかりてお散歩しました。
 まどかはとしょかんへ行って本を読みたいと言っていたけれど、ぼくはまどかが読む本は漢字がいっぱいでむずかしいのできらいです。でもぼくはまどかのことは好きなので、まどかが本を読んでいる間はいつもおとなしくしています。
 今はまだ無理だけど、いつかぼくも、まどかが読むようなむずかしい本を読めるようになりたいです。そうすれば、まどかといっぱい本のお話 ができるものね。
 今日は本当にいいお天気でした。お散歩の途中でありさんの行列を見つけたので、しばらくかんさつしていました。
 ありさんたちは、ほかの虫さんの死体やおかしの小さなかけらなどを一生けんめい運んでいました。大きなありさんも小さなありさんも中くらいのありさんも、みんながんばって運んでいました。
 ぼくたち人間から見たら小さい虫さんの死体やおかしのかけらも、ありさんたちから見たらとても大きいのだろうなぁ。自分たちよりも大きいものを必死になって巣まで持っていこうとするありさんたちはえらいと思います。
 ぼくがずうっとありさんたちを見ていたとき、悲しいことがおこりました。まどかと同い年くらいのお兄さんが乗った自転車に、何匹かのありさ んがひかれてしまったのです。ぼくはびっくりして小さく「あ!」という声をあげてしまいましたが、自転車に乗ったお兄さんはありさんたちに気づかなかったみたいで、そのまま通りのむこうにきえてしまいました。
 何も持っていないありさんたちが、ひきつぶされたありさんたちが持っていたおかしのかけらをひろって、行列にくわわりました。自転車が通る前と同じように、一生けんめい運んでいました。
 お日さまが照っていてとても暑かったけれど、ぼくは夕方までずぅっとありさんたちを見ていました。




   土曜日 ――あや――


 ああ、今日という日は、一体なんという日だったのだろう。
 あと一〇分で今日という日が終わる。夏休みがやってくる。
 ああ、今日という日は本当になんという日だったのだろう。
 何から書こう。
 どう書いたらいいのだろう。
 思い出しても涙がにじむ。
 手が震えて文字が揺れる。
 今日という日を私は一生忘れない。
 ああ、今日はなんて素晴らしく、そして悲しい日だったのだろう!




   日曜日 ――高崎円たかさきまどか――


 一週間分の日記を残して、私の中から六人の他人が消えた。
 昨日までは確かに私の中にいたのに、今朝起きたらきれいさっぱり消え失せていた。今私の中にいるのは、他の誰でもない、私――高崎円一人だ。
 これが当たり前のことなのに、何故だろう、何か物足りない。六人が私の中からいなくなることを、私は望んでいたはずな のに……。
 今になってみると、あの頃が懐かしいなんて……。
 戻ってきて欲しいなんて……。
 彼ら≠ニ交わした最後の会話はよく憶えている。私の通知表の……あまり良いとは言いがたい成績を両親が怒らなかった後のことだ。私が、怒られずにすんでほっとしていたところに、拓也が口をはさんできたのだ。


本当にこの成績で怒られなかったのかよ。もう諦められてんじゃねぇの
ちょっと拓也、この世の中には、本当のことでも言っていいことと悪いことがあるのよ
冴子が言えるセリフかよ。いっつも井戸端会議のノリで他人の噂話ばかりしているくせによ
あたしは本人の目の前では言わないわよ
「……何よ何よ、その言い方! どうせ事実よ! 真実よ! お母さんもお父さんも、先生も友達も、私のことなんか諦めているわよ! 誰も私になんか期待しても無駄だって思っているわよ! だからって、そんな言い方ないじゃない! 私は私なりに一生懸命やっているのに……!」
本当に一生懸命やっているの?
「どういう意味よ!?」
本当に一生懸命やっている奴は、もっと生き生きとした表情しているものだぜ。見ていて馬鹿馬鹿しいくらいにな
「それなら……見ていて馬鹿馬鹿しいなら、一生懸命になんてやらなくてもいいじゃない!」
一生懸命やって、失敗するのが恐いんだろ
期待されて、その期待に応えられないのが嫌だから、最初から期待されないようにしているんでしょ
他人と関わることから逃げているのね
「そうよ、恐がって……嫌がって……逃げて何が悪いのよ! 誰だって苦しいのは嫌いでしょう!」
でも本当は、失敗しても挑戦してみたい
期待されたい
他人に興味がある
くだらないと目をそらしながらも、本当は目を離せないでいる
「……そんなわけないじゃない」
時にはわざと自分を惨めに見せるのは、同情されたいわけでも、慰めて欲しいわけでもなく、怒って欲しいから
構って欲しいから
自分を見て欲しいから
自分を好きになって欲しいから
自分のことを好きじゃない人を、誰も好きになんてならない
でもぼくはまどかのことが大好きだよ


 ……今にして思えば、私が最初あんなに取り乱したのは、私自身、拓也の言う通りだと心の奥で思っていたからだろう。
 澪の言葉を最後に、彼ら≠フ言葉はぴたりと止んだ。
 多重人格というのは精神的ストレスが原因でおこるものらしい。
 彼ら≠ェいなくなったのは――私の多重人格が改善されたのは、きっと、別人格を相手にしてとはいえ、心の中に溜めていたものを喚き散らして発散できたからだろう。
 彼ら≠ェ何者だったのか、私にはわからない。本当に私の別人格だったのだろうか。しかし、彼ら≠ェ私がを救ってくれたことは確かだ。
 今日を最後に、日記を書くのはやめよう。
 もう彼ら≠ノは必要ない。
 思い出は、紙ではなく私の心に書き留めよう。
 今年の夏はやりたいことがたくさんあるのだ。




   十年後 ――西原円にしはらまどか――


 たった一週間と一日分しか書かれていない日記帳があった。
 日付を見てみると、それは丁度十年前――私がまだ高崎円という名の高校生だった頃のものだった。
 今の私は西原円――大学を出ると同時に結婚し、夫と一緒に小学校の先生をやっている。
 夫婦共働きは大変でしょうとよく言われるが、お互いにこの生活を苦痛に思ったことはなく、充実した毎日だ。この幸せがいつまでも続けばいい。
 世間ではもうすぐ夏休みという今日、私達は久しぶりに家の大掃除をしている。随分時期はずれな気はするけれども、やる気が出た時にやらなければ、次はいつ掃除をする時間ができるかわかったものじゃない。さっきはこの生活を苦痛に思ったことがないといったが、やはり家事に携わる時間が専業主婦より極端に少ないことは否めない。
 その大掃除の最中、本棚の奥から古い日記帳が出てきたのだ。
 私は自分が高校生の時のことをあまりよく憶えていない。この日記帳のことも、使っていた記憶は微かにあるが、いつ頃どんなことを書いたかなどは、全然記憶にない。
 だからこそ……疑問に思わずにいられない。
 何故この日記帳は一週間と一日分しか書かれていないのか。どうして八日間ともあきらかに違う筆跡で書かれているのか。裕とか終とかいうのは誰なのか。
 多重人格がどうとか書いてあるが……きっとこれは、当時の私が想像した、ただの物語だろう。
 私はその古ぼけた日記帳を閉じると、軽く埃をはらい、元あった本棚に戻した。
 掃除はまだ終わっていないのだ。






   十年後 ――あや――


 たった一週間と一日分しか書かれていない日記帳があった。きっともう誰にも読まれることのないであろうその日記帳の最後のページにはこう書かれてあった。

円へ あなたにはもう私達は必要ないだろうけど……

私達がいたことを

忘れないで

――綺




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